平岡瑤子
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ひらおか ようこ
平岡 瑤子
生誕杉山 瑤子
1937年2月13日
日本東京都文京区目白台
死没 (1995-07-31) 1995年7月31日(58歳没)
日本・東京都新宿区河田町東京女子医科大学病院
死因肺真菌症による急性心不全
墓地 日本多磨霊園
国籍 日本
別名三島瑤子
出身校日本女子大学附属豊明小学校
日本女子大学附属中学校・高等学校
日本女子大学文学部英文学科
配偶者三島由紀夫
子供紀子(長女)
威一郎(長男)
杉山寧(父)、元子(母)
親戚小松静子(叔母)
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平岡 瑤子(ひらおか ようこ、1937年(昭和12年)2月13日 - 1995年(平成7年)7月31日)は、三島由紀夫の妻。杉山寧の娘。専業主婦として側面から三島の文筆活動を支え、未亡人となってからは、夫の書誌の編集や遺作の整理・保存、著作権保護に尽力し[1][2]経団連襲撃事件の際には、犯人の元楯の会会員の説得にあたった[1][2][3][4][5]

なお、瑤子と新婚旅行中の三島が宿泊先の箱根富士屋ホテルの便せんで、「私の妻瑤子は21歳の大学生です。彼女はとてもかわいくて、良い子(really cute and sweet)です」と、アメリカの出版社(英訳『仮面の告白』刊行)の社長宛てに近況報告していた手紙が、2015年(平成27年)に発見された[6][7][8][注釈 1]
生涯
生い立ち

1937年(昭和12年)2月13日(土曜日)、日本画家の父・杉山寧と母・元子の間に長女として誕生[9]。その後、妹1人と弟2人ができ、4人姉弟の1番上として育った[10]。幼い頃よりに親しんだ[要出典]。

瑤子の通う日本女子大学附属豊明小学校には1学年下に村松英子がいて顔見知りであった[11]。英子の兄・村松剛は小学校4年の妹の学芸会を見学した際、5年生の演劇で御小姓の役を演じる小柄で目鼻立ちのはっきりした可憐な少女に目がいき、その子の名前を英子に訊ねると、「ああ、あの方は杉山瑤子さんよ」と教えられた[11]

1957年(昭和32年)の夏にも、村松は妹・英子と軽井沢の喫茶店に入った時に、偶然瑤子を見かけた[11]。若々しい美女が入口の横の方の席に坐っていた。先方にも連れがあって、彼女は妹に会釈してまもなく連れと一緒に席を立った。妹に名まえをきくと、

――杉山瑤子さんよ。
彼女が七、八年まえのあの学芸会の少女であるとは、こちらはすぐには気がつかなかった。妹の方は二度も名まえをたずねられて、兄貴めはよほど瑤子さんに関心があるのかと思ったそうである。 ? 村松剛「三島由紀夫の世界」[11]
三島との出会い

1958年(昭和33年)3月23日、日本女子大学英文科2年生の時、瑤子の良縁を探していた叔母の小松静子夫人(夫は元伯爵小松晃道)と親しい間柄の湯浅あつ子が、瑤子の写真を友人の三島由紀夫に見せた[10][12][13]。その見合い写真は、秋山庄太郎港区麻布今井町(現・六本木)のスタジオで秋山の弟子が撮影したものであった[14][15]。瑤子が三島好みの「丸顔で可愛らしい」顔だったためOKを出し、会うこととなった[10][13]

4月13日、湯浅は瑤子を連れて銀座ドイツ料理店「ケテル」で三島と引き合わせ、その後3人で「浜作」で夕食を取った後、青山ナイトクラブに踊りに行った[10][12][13][16]。三島は瑤子と踊っている時、瑤子が遊びずれしていないことが判り、翌日14日、「なかなかよろしいではないか」と気に入った旨を湯浅に報告した[12][16]。瑤子の感想の方も、「どうにかなってしまいそうでした」と嬉しそうな声であったという[13]

4月21日にも湯浅同伴で三島と瑤子は再び会い、第一生命ホールで映画『女優志願』の試写会を観て、西新橋田村町の「ジョージス」で夕食後、青山のナイトクラブに行った[12][17]。4月30日には、湯浅と小松夫人が目黒区緑ケ丘(現・緑が丘一丁目)の三島の家を訪問し下話をまとめ[12][16]、5月3日に、平岡家と杉山家の両家での懇談を持った[12]

5月5日、三島の父・平岡梓は、杉山夫妻と瑤子、小松夫人と湯浅を中華料理店に招待し、正式に瑤子と三島の婚約の運びとなった[10]。この時、三島の母・倭文重は病気入院中で欠席しており、5月1日の手術でではないことが判明していた[12][16][18]


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