ひらおか しずえ
平岡 倭文重
生誕橋 倭文重
1905年2月18日
日本・東京市小石川区指ヶ谷町92番地(現・東京都文京区白山)
死没 (1987-10-21) 1987年10月21日(82歳没)
日本・東京都港区虎ノ門
虎ノ門病院
死因心不全
墓地 日本・多磨霊園
国籍 日本
出身校三輪田高等女学校(現・三輪田学園中学校・高等学校)
配偶者平岡梓
子供公威(長男)、美津子(長女)
千之(次男)
親橋健三(父)、トミ(母)
親戚瀬川朝治
平岡 倭文重(ひらおか しずえ、1905年(明治38年)2月18日 - 1987年(昭和62年)10月21日)は、作家・三島由紀夫(本名:平岡公威)の母。漢学者・橋健三の次女。加賀藩の漢学者・橋健堂の孫。少年時代の三島由紀夫の文学的才能を発見し、その成長を励ました。 1905年(明治38年)2月18日(土曜日)、倭文重は東京の小石川区指ヶ谷町92番地(現・東京都文京区白山)で、父・橋健三と母・トミの間に次女として生まれた[1]。橋家は、代々金沢藩主・前田家に仕えていた儒者の家系であった[1][2]。父・橋健三は漢学者で、東京開成中学校の5代目校長を務めた[1][2]。倭文重の上には、健行、雪子、正男、健男、行蔵、の兄と姉、下には、妹・重子がいる[1]。倭文重は文学少女として、詩歌や小説に親しむ青春期を過ごした[1][3]。1922年(大正11年)に三輪田高等女学校(現・三輪田学園中学校・高等学校)を卒業した[1]。 1924年(大正13年)4月19日、倭文重は平岡梓と結婚。平岡梓は開成中学校から旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業した農商務省勤務の官僚であった[1]。
生涯