平山英雄
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平山 英雄基本情報
出身地
日本 北海道釧路市
生年月日 (1949-01-01) 1949年1月1日(70歳)
身長
体重177 cm
70 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1966年 第1次ドラフト2位
初出場1967年4月13日
最終出場1974年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


北海道釧路江南高等学校

阪神タイガース (1967 - 1974)

ロッテオリオンズ (1975)

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

平山 英雄(ひらやま ひでお、1949年1月1日 - )は、北海道釧路市出身の元プロ野球選手投手)である。
目次

1 来歴・人物

2 詳細情報

2.1 年度別投手成績

2.2 記録

2.3 背番号


3 脚注

4 関連項目

来歴・人物[ソースを編集]

釧路江南高校では、エースとして活躍。1965年には釧根支部予選を制し、秋季北海道大会に進むが、1回戦で室蘭工に敗退。翌1966年には夏の甲子園に出場。1回戦で小倉工と対戦、投の二本柱である横山晴久斎藤英雄と投げ合うが、延長12回の末に1-3で敗退[1]

同年のドラフト会議阪神タイガースに2位で指名され入団。入団を担当したのは、佐川直行スカウト[2]

入団当初は、ドラフト1位指名の江夏豊よりも評価が高かった。1年目の1967年4月13日大洋戦で一軍初登板[2]、25日にはサンケイ戦で初先発を果たす。この一軍初登板、初先発とも江夏よりも先であった[2]。その後は伸び悩み、一軍からは遠ざかり、江夏と大きく差をつけられることになる。しかし1970年10月24日には大洋を相手に先発、7回1/3を無失点で好投しプロ初勝利を記録する。ただ同年の一軍登板はこの試合のみであった。

プロ6年目の1972年には、7月2日中日との対戦で同季初先発、勝利投手となる。この勝ち星で波に乗り、同年7月18日から20日に行われた広島3連戦では、同一カード3連続勝利投手を記録した。同年は34試合に登板し、自己最多の7勝を挙げている。

しかし、翌1973年から再び一軍から遠ざかり、1974年オフに鈴木皖武小川精一上辻修森山正義と共に、池辺巌井上圭一との交換トレードでロッテオリオンズへ移籍。オリオンズでは公式戦登板の機会が無く、翌年限りで引退した。引退後は、神戸損害保険会社に勤めた[2]

スライダーカーブシュートを得意球とした。

映画監督の相米慎二は、高校の1年先輩に当たる。
詳細情報[ソースを編集]
年度別投手成績[ソースを編集]




















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