平山清次
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生誕 (1874-10-13)
1874年10月13日
日本宮城県仙台市
死没 (1943-04-08) 1943年4月8日(68歳没)
日本
研究分野天文学
研究機関東京帝国大学
出身校東京帝国大学
主な業績小惑星族の発見
プロジェクト:人物伝
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平山 清次(ひらやま きよつぐ、1874年明治7年)10月13日 - 1943年昭和18年)4月8日)は、日本天文学者
経歴

宮城県仙台市出身。寺尾寿の弟子で[1]天体力学及び古暦の研究で有名。小惑星の「族」を発見した[2]功績によりの裏側のクレーターに「ヒラヤマ」と名づけられた。ヒラヤマは清次と同姓の天文学者・平山信太陽の理論的な研究、小惑星の観測や発見及び軌道決定、日食観測、天体物理学恒星天文学及び測地学に多大な業績を残した)の2人の名前に由来しているが、清次と信の間には血縁・姻戚関係はない。墓所は仙台市泰心院。

平山清次の門下生には萩原雄祐鏑木政岐広瀬秀雄らがいる[1]
年譜

1896年東京帝国大学理科大学星学科卒業。

1906年:東京帝国大学理科大学助教授に就任。

1911年理学博士の学位を取得。

1915年米国イェール大学に留学。

1919年:東京帝国大学理学部教授に就任。

1921年東京天文台技師に就任。

1935年:定年退官。

栄典

1912年(大正元年)12月28日 - 正六位[3]

1918年(大正7年)2月12日 - 従五位[4]

業績

小惑星の運動とその起源に関する研究を大成した。

1918年に小惑星のうち、固有離心率、固有軌道傾斜角がほぼ等しい値を示すグループがあることを発見。同じ母惑星から生まれた小惑星の集まりと考え、「族」と命名した。現在では小惑星の族は「平山族」「ヒラヤマ・ファミリー」と呼ばれている。小惑星の族は平山に発見された当時は5つしかなかったが、その後新しい族が発見され、1999年現在29の族が確認されている。

著書

『岩波講座 物理学及ビ化学・天体力学』(
岩波書店 1929年

『岩波講座 物理学及ビ化学・時の話・暦の話』(岩波書店 1929年)

『一般天文学』(共立社 輓近物理学選書 1931年

『暦法及び時法』(恒星社 1933年

『小惑星』(岩波書店 岩波全書 1935年)

『一般天文学』(共立出版 1940年

『霜柱・暦の話』(信濃教育会1947年

脚注・出典[脚注の使い方]^ a b日本の天文学者の系図
^ 『カラー天文百科』、304頁。
^ 『官報』第126号「叙任及辞令」1912年12月29日。
^ 『官報』第1657号「叙任及辞令」1918年2月13日。

参考文献

ヨアヒム・ヘルマン
(ドイツ語版) 著、小平桂一 監修 『カラー天文百科』 平凡社1976年3月25日初版第1刷発行

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