凡例平宗清
木曽六十九駅 伏見木曽川・弥平兵衛宗清
時代平安時代後期
生誕不明
死没不明
別名弥平兵衛尉、弥平左衛門尉[1]
柘植彌平二[2]
官位正六位上右衛門尉、左衛門尉
氏族伊勢平氏
父母父:右兵衛尉平季宗
平 宗清(たいら の むねきよ)は、平安時代後期の武将。伊勢平氏の傍流、平季宗の子[3]。 平頼盛の家人[4]であり、頼盛が尾張守であった事から、その目代となる。永暦元年(1160年)2月、平治の乱に敗れ落ち延びた源頼朝を、美濃国内で捕縛し六波羅に送る。この際、頼盛の母である池禅尼を通じて頼朝の助命を求めたという[5]。 仁安元年(1166年)、正六位上で右衛門少尉となり、同3年(1169年)に左衛門権少尉となる[6]。また、後白河院の北面武士となっており、院領であった大和国藤井庄
略歴
治承・寿永の乱で平家が都落ちした後の元暦元年(1184年)6月、頼朝は宗清を恩人として頼盛と共に鎌倉へ招いたが、これを武士の恥であるとして断り、平家一門のいる屋島へ向かった[8]。頼朝は頼盛から宗清が病で遅れると聞き、引出物を用意していたが、現れなかった事で落胆している。
子の家清は出家して都落ちには同行せず、元暦元年(1184年)7月に本拠伊勢国で三日平氏の乱を起こすが、鎌倉方に討ち取られている。
系譜
父:平季宗
母:不詳
妻:平維綱娘
生母不明
男子:平家清
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 『吾妻鏡』では左衛門尉。
^ 平正度の次男貞季の後裔にあたり、叔父に平家貞、従兄弟に平家継・貞能らがある。
出典^ 『平治物語』『吾妻鏡』
^ 『尊卑分脈』平氏系図・維綱女項
^ 『尊卑分脈』[注釈 2]
^ 『愚管抄』5
^ 『吾妻鏡』『平治物語』
^ 『山槐記』『除目部類』『兵範記』
^ 『吉記』『平安遺文』
^ 『吾妻鏡』『平家物語』
参考文献
新日本古典文学大系43『保元物語 平治物語 承久記』(1992年、岩波書店)
関連作品
歌舞伎
『一谷嫩軍記』
テレビドラマ
『新・平家物語』(1972年、NHK大河ドラマ 演:若林彰)
『平清盛』(2012年、NHK大河ドラマ 演:梶原善)
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柘植氏