平安女学院中学校・高等学校
3号館(昭和館)
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度1分10.1秒 東経135度45分30.3秒 / 北緯35.019472度 東経135.758417度 / 35.019472; 135.758417
平安女学院中学校・高等学校(へいあんじょがくいんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、京都府京都市上京区下立売通烏丸西入五町目町にある私立女子中学校・高等学校。日本聖公会系のミッション・スクール。略称は平女(へいじょ)。2007年より学校法人立命館との連携を強化し、2008年度から立命館コース(60名)を設置している。 1875年(明治8年)に大阪川口居留地で、英国国教会(イングランド国教会)を始祖とする米国聖公会の宣教師、ミス・エレン・ガードルード・エディが手伝っていた聖テモテ学校(のちの英和学舎、立教大学の前身)の女子生徒を引き取って始めたMiss Eddy’s School(エディの学校)が起源である。1894年(明治27年)に校名が「平安女学院」となる。1895年(明治28年)に現在の京都市上京区下立売通に移転した。
概要
沿革
1874年11月 - 米国聖公会の宣教師、ミス・エレン・G・エディが大阪に来日[1]。
1875年
1月 - ミス・エレン・G・エディが「エディの学校」として教育を開始[1]。
9月 - 校名を「照暗女学校」に改称[2]。
1879年6月 - 川口居留地6番にあった元オーサカ・ホテルを購入し移転[2]。
1894年 - 校名を「照暗女学校」から「平安女学院」に改称[3]。
1894年 - 翌年京都へ移転予定のため、16人の生徒を立教女学校(現在の立教女学院中学校・高等学校)へ転校させる。
1895年3月 - 京都に移転[2]。
1898年
5月 - ジェームズ・ガーディナー設計による聖三一大聖堂(現京都教区主教座聖堂聖アグネス教会)が完成する。
10月 - ジョン・マキム主教により献堂式が行われる。
1915年 - 高等女学校となる。聖三一幼稚園が開園される。
1920年 - 通学服を和装からセーラー服に切り替える。日本で最初にセーラー服を導入した学校と云われている。
1947年 - 新制中学校となる。
1948年 - 新制高等学校となる。
2002年 - 平安女学院高等学校にアグネスコースに加え、特進コースI・IIを設置。
2008年 - アグネス総合進学コース(高校ではI類・II類)、立命館コースを設置。
2014年 - 幼児教育進学コースを設置。
2015年 - エクスパート・ステップコースをエクスパート特進コース、立命館コースを立命館進学コースに改称する。
2019年 - アグネス総合進学 (AGS) コースをアグネス国際進学 (AS) コースに改称する。
学科