平壌の戦い
「平壌攻撃我軍敵塁ヲ抜ク」水野年方画
戦争:日清戦争
年月日:1894年9月15日
場所:李氏朝鮮平壌
結果:大日本帝国陸軍の勝利
交戦勢力
大日本帝国 清
指導者・指揮官
野津道貫
桂太郎葉志超
平壌の戦い(へいじょうのたたかい、ピョンヤンのたたかい)は、日清戦争における最初の本格的な陸戦である。 混成第9旅団長大島義昌少将は、入韓直後から清国の大軍が平壌に集中するとの情報を得ていた。騎兵斥候を平壌に派遣し駐留させていたが7月下旬、清兵は義州を経由して平壌に接近、斥候隊は中和さらに黄州に退いた。1894年8月10日、黄州から中和に偵察に出た時に有力な敵と遭遇、指揮官の町口中尉や竹内少尉などの幹部が戦死してしまう。 第9旅団にはさらに成歓の戦いでの清軍敗兵が春川周辺にいること、日本から第5師団残部が元山と釜山に上陸し、漢城府(現在のソウル)に向かうという情報が入る。このため警戒を兼ねて、朔寧方面に朔寧分遣支隊を派遣した。 大本営は、清軍を朝鮮半島外に駆逐することを決心し、8月14日、第3師団の半分の派韓を決定、さらに9月1日、両師団をあわせて第1軍を編成し、陸軍大将山縣有朋が軍司令官に任命された。 それに先立ち、第5師団長野津道貫は8月19日に漢城府に到着した。このとき韓廷の事実上の首班は大院君であったが、清兵が陸続と南下の報を聞くと動揺してしまう。野津は、情勢判断の結果、朝鮮政府を動揺させないためにも、早期の平壌攻略が必要と判断し第5師団の北進を開始した。混成第9旅団にもとして義州街道を前進するよう命じている。 8月21日、混成第9旅団は龍山を先発部隊として出発した。
戦闘前
日本軍の動き