その他の用法については「平和通り」、「平和通」をご覧ください。
.mw-parser-output .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .trow>.thumbcaption{text-align:center}}鶴見橋西詰から西方向を望む。2014年。右側が市中心部で、右端中央が比治山、そこから左斜め上に伸びる道路が平和大通り。その中央付近の帆のような土地が広島平和記念公園。
平和大通り(へいわおおどおり、英: Peace Boulevard[1])は、広島県の広島市中心部を東西に横断する約4kmの通り。別名「100m道路」ともよばれる[2][3]。全線が広島市道比治山庚午線に指定されている[4]。
概要
映像外部リンク
⇒ライブカメラ - 広島工業大学専門学校
⇒西日本の旅 祈りの道 緑映えて?広島・平和大通り? - NHK平和アーカイブス
1965年開通[5]、平和大通りの名は1951年公募で決定した[2]。日本の道100選の一つであり、沿道の広島平和記念公園とともに都市景観100選に選ばれている。別称「100m道路」のとおり、道路幅が100mある道路である。
太平洋戦争末期に整備された防火帯(疎開道路)の一つに、戦後すぐの日本政府方針である戦災復興都市計画から派生した100m道路計画が実施されることになり、それに国際平和文化都市として発展していく広島市において象徴化していった公園道路(ブールバール)である[5][6]。1946年10月「広島復興都市計画」が立案した時に「平和公園」「河岸緑地」とともに目玉プランとして組み込まれたものであり、今日における広島市都市計画の基礎となった「広島平和都市建設計画」が1952年3月立案した際にはこの道路が市内における道路計画の基本軸となった[7][8][9]。なお100m道路計画が実現したのは、ここと名古屋市の若宮大通・久屋大通の3例のみである[10]。一部で言われている、GHQが戦後焼け野原となった広島の地図上に一本の線を引きそこに100m道路が出来た、という話は間違いである[補足 1][13]。
広島市道比治山庚午線の一部を構成し、西端が太田川放水路西、東端が京橋川東までで、太田川が形成した広島三角州の中央を東西に貫く[2][14]。つまり川に挟まれた内側ではなく外側までであり、西端が西区己斐の新己斐橋西詰交差点、東端が南区比治山の鶴見橋東詰交差点である[15]。その先には西は西広島駅、東は比治山がある。
市民が用いる生活道であるとともに平和公園へ訪れる観光客が用いる道であり、多くの人々が通行する[6][16]。毎年5月3日から5日に催される平和の祭典ひろしまフラワーフェスティバルの会場にもなっている[16]。
2000年代に入り「平和大通りリニューアル事業」として再編が進められている[17]。 正式名称は日本語表記で“平和大通り”、100m道路は通称である。ラテン表記では“Peace Boulevard”(ピース・ブールバール[18])で、英語読みのブールバードではなくフランス語読みのブールバールを用いている。 計画当初は100m道路と呼ばれていたが後に公募で平和大通りと正式決定した[2]。 ラテン表記は、以前の道路標識や観光資料などではローマ字表記である“Heiwa Odori Avenue”が使われていた[19][18]。観光立国推進基本法施行以降の国土交通省外国人旅行者の受入環境整備事業などにより表記が協議され“Peace Boulevard”に統一され[18][20]、あるいは“Peace Boulevard (Heiwa Odori)”“Heiwa Odori(Peace Boulevard)”[21][22]と併記するようになっている。そのため2013年現在でPeace Boulevardが市民に定着しておらず[18]、未だ観光案内資料などでもHeiwa Odoriの単独記載しているものもある。
呼称
諸元.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}@ 新己斐橋(太田川放水路)A 福島町停留場B 西観音町停留場C 西観音町電停(東)交差点から西方向を望む。中広通り/空港通りとの交点であり、ここから広島電鉄本線が分かれる。D 緑大橋(天満川)E 小網町交差点から西方向を望む。寺町通り/舟入通りとの交点であり、広島電鉄江波線が交差する。F 西平和大橋(旧太田川)G 平和大橋西詰から西方向を望む。