平出和也
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平出 和也
(ひらいで かずや)
生誕 (1979-05-25)
1979年5月25日(42歳)
長野県諏訪郡富士見町
国籍 日本
出身校東海大学
職業アルパインクライマー、山岳カメラマン
著名な実績8000メートル峰6座登頂
エベレスト4回登頂
身長169 cm (5 ft 7 in)
受賞日本スポーツ賞(2001)

第17回ピオレドール賞(2009)
日本スポーツ賞(2009)
第17回秩父宮記念山岳賞(2015)
第21回植村直己冒険賞(2017)
第12回ピオレドールアジア賞(2017)
第26回ピオレドール賞(2018)
第28回ピオレドール賞(2020)

平出 和也(ひらいで かずや、1979年5月25日 - )は、日本人アルパインクライマー、山岳カメラマン。登山界で最も名誉とされるピオレドール賞を日本人で最多の3度(2020年時点)受賞している[1]石井スポーツ所属[2]目次

1 概要

2 経歴

3 エピソード

4 TV出演

5 脚注

6 外部リンク

概要

長野県諏訪郡富士見町出身で、同県辰野町小野で育つ。小中学校では剣道で長野県3位となった。

1995年4月、東海大学第三高等学校に入学すると陸上部に所属し、競歩の選手として活躍、全国大会で6位入賞。高校時代は訓練のため赤岳など日本の山を陸上スタイルで走って登っていた。1998年4月東海大学に入学、高校時代に引き続き1,2年時は陸上部で競歩に取り組み、日本選手権では10位となった。大学2年の秋に競歩への情熱が冷め[1]、3年時より陸上部を離れ山岳部に所属。4年生の春、チベット側からのヒマラヤ山脈遠征に加わった[1]

2001年に未踏峰クーラカンリ東峰(7,381m)に初登頂を果たし、日本スポーツ賞を受賞した。

2002年、カラコルム山脈パキスタン北部エリアを訪れ、未踏の山やルートへの想いを募らせた。ゴールデンピーク(7,027m)を目標に選んでパートナーを探して登山家に声をかけ、応じた谷口けいを2004年に北西稜の初登攀に成功した[1]

2008年7月、同じICI石井スポーツ所属のプロ登山家竹内洋岳からの誘いで8,000m峰ガッシャーブルムU峰ブロードピークにサポート兼カメラマンとして参加し、連続登頂に成功。2008年10月のカメット峰 (7,756m/インド) 南東壁未踏ルート初登攀の功績によって、谷口けいと共に「第17回ピオレドール賞」を日本人として初受賞[3]。同功績により日本スポーツ賞も受賞。山岳スキー競技選手権アジア選手権団体リレー優勝、個人バーチカル5位、個人総合4位。

2013年5月、ミウラエベレスト2013隊に参画し三浦雄一郎の80歳でのエベレスト登頂を撮影した[4][5]。2014年、NHKテレビ番組「グレートトラバース」で日本百名山一筆書きに挑戦した田中陽希氏に撮影スタッフとして同行した。翌年、続編の日本二百名山一筆書きにも撮影スタッフとして同行している。

2015年12月、世界的な山岳登攀と独自の技法による撮影実績が讃えられ、第17回秩父宮記念山岳賞を受賞した。2017年2月には「誰にもまねできない冒険と撮影を両立している」として第21回植村直己冒険賞を受賞、2017年11月には同年の8月22日に達成したシスパーレ (7,611m/パキスタン) 北東壁未踏ルート登攀の功績によって平出の新たなパートナーでもある中島健郎と共に「第12回ピオレドールアジア賞」を受賞し[6]、翌2018年には同功績で2度目のピオレドール賞となる「第26回ピオレドール賞」を受賞した[7]。谷口けいは2015年に北海道の大雪山系で遭難死しており、平出はシスパーレ山頂の雪中に谷口の遺影を埋めた[1]

2019年7月にパキスタンカラコルムラカポシの未踏の南壁ルートから登頂し、翌2020年に同功績で3度目のピオレドール賞となる「第28回ピオレドール賞」を中島健郎と共に受賞した[8]

登山を始めた初期は「命をかければどんなルートも登れる」と思っていたが、カメット山頂近くで滑落してパートナーの命もかかっていることを自覚。慎重な性格で様々な忠告をしてくれた谷口には感謝している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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