平井呈一
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平井 呈一(ひらい ていいち、1902年6月16日 - 1976年5月19日)は、日本イギリス文学翻訳家編集者。翻訳、編集を通じ海外怪奇小説を紹介した。
生涯

1902年(明治35年)、神奈川県中郡平塚町(現:平塚市)で生まれる。本名は程一。江戸下町育ちで、没時まで和服で通した。

東京府東京市日本橋区浜町(現:東京都中央区日本橋浜町)の養家で居住。浜町尋常小学校から1920年に日本大学附属中学校(現在の日本大学第一中学校・高等学校)を経て早稲田大学文学部英米文学科中退。河東碧梧桐に師事して俳句に親しむ。永井荷風佐藤春夫に師事し、江戸文学に造詣が深い翻訳者となった。中菱 一夫の筆名で、小説「真夜中の檻」「エイプリル・フール」を発表したことがある。

代表的な翻訳に、岩波文庫や恒文社[1]での小泉八雲作品、1956年からの東京創元社でのブラム・ストーカー『ドラキュラ』、レ・ファニュ『カーミラ』の完訳などで、半世紀経て新版刊行されている。
また近代英国の作家アーサー・マッケンの作品紹介に努め、晩年に全訳による『アーサー・マッケン作品集成』[2]を刊行した。
弟子に紀田順一郎荒俣宏(荒俣は3度の破門を経験している、下記も参照)、由良君美[3]がおり、各・平井の回想がある。また作家の岡松和夫が姪の夫でモデル小説『断弦』[4]を著した。

門人として荷風の邸宅「偏奇館」に出入りしていたとき、荷風の色紙や手稿を偽造して売りさばいたことがある。荷風がみずからの楽しみのために書いて手元に置いていた好色小説『四畳半襖の下張』の手書き原稿を密かに持ち出して、仲間と共に筆写し回覧させ、この名作が世に出るきっかけを作ったのも平井である。このため師弟関係は破局を迎え、荷風は日記『断腸亭日乗』のなかで平井を悪罵、さらに平井をモデルにして短篇「来訪者」を書いて発表し、復讐を遂げた。なお為永春水の現代語訳を荷風名義で請け負ったことがある。

戦後は千葉県富津市に移住し、1976年に同市小久保の寓居で心筋梗塞のため没した。
著書

『小泉八雲入門』古川書房 1976年

『真夜中の檻』
創元推理文庫 2000年 - 創作2篇・エッセイ

幻想と怪奇 3 平井呈一と西洋怪談の愉しみ』新紀元社、2020年 - 翻訳、評論、エッセイ選集

『平井呈一 生涯とその作品』(荒俣宏編、紀田順一郎監修)、松籟社、2021年 - 年譜伝記、評論、句集など

翻訳

メリメの手紙』春陽堂 1933年 - 当初は 程一 名義

ホフマン『古城物語』春陽堂 1933年

『國姓爺合戰物語』小山書店 1936年

アーネスト・ダウスン『悲恋』春陽堂文庫 1937年

ワイルド童話集』冨山房百科文庫 1939年

W.M.サツカレエ『歌姫物語』森書房 1949年 ※以後は 呈一 名義

サツカレエ『おけら紳士録』改造社 1949年

ラフカディオ・ヘルン怪談 不思議な事の研究と物語岩波文庫 1950年、改版1965年、ワイド版2011年。初版は程一

小泉八雲『怪談』金の星社、1983年。偕成社文庫 1991年。児童出版

ラフカディオ・ハーン『怪談』ヤン・シュヴァンクマイエル・画、国書刊行会 2011年


ラフカディオ・ヘルン『骨董』岩波文庫 1950年、復刊1994年ほか

『ワイルド選集』改造社(全3巻) 1950-51年

サッカレ『床屋コックスの日記・馬丁粋語録』岩波文庫 1951年、復刊1985年ほか

ラフカディオ・ヘルン『心 日本の内面生活の暗示と影響』岩波文庫 1951年、改版1977年

ラフカディオ・ヘルン『東の国から 新しい日本における幻想と研究』岩波文庫(上下)1952年、復刊1995年ほか

小泉八雲作品集』筑摩書房 1954年

『小泉八雲全集』みすず書房[5] 1954-55年

ブラム・ストーカー魔人ドラキュラ東京創元社 1956年(世界大ロマン全集 第3巻)

吸血鬼ドラキュラ』創元推理文庫 1963年、改訳版1971年


マリー・コレリ復讐』東京創元社 1957年(世界大ロマン全集 第11巻)

編訳『怪奇小説傑作集 第1』 東京創元社 1957年(世界大ロマン全集 第24巻)- ブラックウッド「秘書綺譚」ほか全9編

改訂版『怪奇小説傑作集 1』創元推理文庫 1969年


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