宮崎県の住所表記については「干支 (北方町)」をご覧ください。
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干支
干支(かんし、えと、中国語: 干支、ピンイン:g?nzh?)は、十干と十二支を組み合わせた60を周期とする数詞[1]。古代中国にはじまる暦法上の用語[2]。暦を始めとして、時間、方位、ことがらの順序などに用いられる[1]。六十干支(ろくじっかんし)、十干十二支(じっかんじゅうにし)、天干地支(てんかんちし)ともいう。
概説干支の60周期を表した図
中国を初めとしてアジアの漢字文化圏において、年・月・日・時間や方位、角度、ものごとの順序づけを表すのにも用いられ、陰陽五行説とも結び付いて様々な卜占にも応用された[1]。古くは十日十二辰、十母十二子とも呼称した[2]。
起源は商(殷)代の中国にさかのぼる[1]。日・月・年のそれぞれに充てられ、60日(ほぼ2か月)、60か月(ほぼ太陰太陽暦5年)、60年などをあらわす。干は幹・肝と、支は枝・肢と同源であるという。日本、朝鮮半島、ベトナム、西はロシア、東欧などに伝わった。日本に暦が伝わったのは古墳時代から飛鳥時代にかけてで、朝廷は百済より暦法や天文地理を学ぶために学問僧を招き、604年(推古12年)、日本最初の暦が作成されたと伝えられる[3]。
日本においては「干支」を「えと」と呼んで、ね、うし、とら、う、たつ…の十二支のみを指すことが多いが、「干支」は十干と十二支の組み合わせを指す語であり、「えと」は十干において「きのえ(甲)」「きのと(乙)」「ひのえ(丙)」「ひのと(丁)」と陽陰に応じて「え」「と」の音が入ることに由来するので、厳密には二重の誤りである。
10と12の最小公倍数は60なので干支は60回で一周するが[1]、干支の組合せはすべての組合せの半数しかない。例えば、一覧01?60で5回ある「子」のうちに、「甲子」はあるが「乙子」はない。これは、10と12に共通の約数2があるので、干支の周期が積の120ではなく、最小公倍数の60になるからである。 十干は甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10種類からなり、十二支は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種類からなっており、これらを合わせて干支と呼ぶ[1]。十干十二支は戦国時代に作られた陰陽五行説よりもはるかに古い起源をもつので、陰陽五行説による説明は後付けであって学問的な意味はない。また生命消長の循環過程とする説もあるが、これは干支を幹枝と解釈したため生じた植物への連想と、同音漢字を利用した一般的な語源俗解手法による後漢時代の解釈[注釈 1]である。鼠、牛、虎…の12の動物との関係がなぜ設定されているのかにも諸説があるが詳細は不明である。 十干日本語中国語朝鮮語ベトナム語本義[4]
十干と十二支
十干詳細は「十干」を参照
音読み訓読み意味
甲こうきのえ木の兄ji?/????? (gap)giap草木の芽生え。鱗芽のかいわれの象意。
乙おつ、いつきのと木の弟y?/??? (eul)?t陽気でまだ伸びなく、かがまっている状態。
丙へいひのえ火の兄b?ng/????? (byeong)binh陽気の発揚。
丁ていひのと火の弟d?ng/????? (jeong)?inh陽気の充溢。
戊ぼつちのえ土の兄wu/??? (mu)m?u茂に通じ、陽気による分化繁栄。
己きつちのと土の弟j?/???? (gi)k?紀に通じ、分散を防ぐ統制作用。
庚こうかのえ金の兄g?ng/???? (gyeong)canh結実・形成・陰化の段階。
辛しんかのと金の弟x?n/????? (shin)tan陰による統制の強化。
壬じんみずのえ水の兄ren/???? (im)nham妊に通じ、陽気を下に姙む意。
癸きみずのと水の弟gu?/????? (gye)quy揆に同じく生命のない残物を清算して地ならしを行い、新たな生長を行う待機の状態。
十二支詳細は「十二支」を参照