幡ヶ谷
町丁
幡ヶ谷駅南口地上出入口(2009年4月)
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度40分38秒 東経139度40分35秒 / 北緯35.677092度 東経139.676253度 / 35.677092; 139.676253
国 日本
都道府県 東京
特別区 渋谷区
地域代々幡地域
人口情報(2023年(令和5年)1月1日現在[1])
人口16,441 人
世帯数10,353 世帯
面積([2])
0.587458239 km²
人口密度27986.67 人/km²
郵便番号151-0072[3]
市外局番03(東京MA)[4]
ナンバープレート品川
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幡ヶ谷(はたがや)は、東京都渋谷区北部の地名である。
概要東京都渋谷区幡ヶ谷(手前)、笹塚(奥)地域内の本町の街並みメルクマール京王笹塚
笹塚駅南口の再開発によって2015年に完成した
地名「幡ヶ谷」[注釈 1]の指し示す範囲には以下の2通りがあり、本稿では両者とも扱う。
汎称地名としての「幡ヶ谷」(幡ヶ谷地区)。これは旧幡ヶ谷村の全域に相当し、現行行政地名では本町一?六丁目、幡ヶ谷一?三丁目、笹塚一?三丁目が含まれる。
渋谷区の現行行政地名としての「幡ヶ谷」。1960年(昭和35年)の町名地番変更により使用され始めた地名で、幡ヶ谷一丁目から幡ヶ谷三丁目まである。郵便番号は151-0072[3]。
幡ヶ谷地区はかつて「幡ヶ谷本町」・「幡ヶ谷中町」・「幡ヶ谷原町」・「幡ヶ谷笹塚町」の4つの幡ヶ谷を冠する町名に区分けされていたが、1960年の町名地番整理の際に「本町」・「幡ヶ谷」・「笹塚」に整理され現在に至る(後述)。現在では幡ヶ谷地域としての一体感は失われつつあり、本町・幡ヶ谷・笹塚はそれぞれ別個独立した町として認識されることが多い。なお、幡ヶ谷氷川神社や幡ヶ谷不動尊は現在でも本町にあり、幡ヶ谷地域に属することをうかがわせる貴重な存在となっている。
都心からの距離が近く、交通の便も良いことからマンションやアパート、一戸建て住宅が立ち並ぶ住宅街となっている。賑やかな商店街があるのが特徴で、駅前を中心に商店や娯楽施設、銀行なども立地するため、生活に非常に便利な街となっている。
近年、再開発が活発に進められており、マンション・オフィスビルの建設や公園の整備などが頻繁に行われている。渋谷区と住民や民間企業が協力し、地域の将来像を考える「ササハタハツまちづくり」も進められており、幡ヶ谷は今後も大きな変化を遂げていくと考えられる。 北部は中野区南台および弥生町に、東部は新宿区西新宿に、南部は渋谷区初台、西原、およびその西の世田谷区北沢、大原に接し、西部は杉並区方南に接する。 武蔵野台地の非常に強固な地盤の上に位置し、平坦な土地が大半を占める。 しかし、「幡ヶ谷」の名が示すように浅い谷が何か所か存在する。最大のものは地域北部の笹塚三丁目から幡ヶ谷三丁目、本町五丁目・四丁目・三丁目にかけて東西方向に存在する谷であり、明治期までは笹塚田圃・中幡ヶ谷田圃・本町田圃と呼ばれる水田地帯となっていた[5]。ここには和泉川が流れていたが、現在では暗渠化されている。この暗渠の周辺は大雨の際に氾濫する可能性があるとされている[6]ため、下流にあたる本町付近では土のうが準備されている。 また、旗洗池付近、本村隧道付近、幡ヶ谷駅付近、笹塚交差点付近には上記の谷に向かうようにして南北方向の浅い谷が存在する。旗洗池付近のものが小笠原窪、本村隧道付近のものが地蔵窪、笹塚交差点付近のものが牛窪と呼ばれているが、幡ヶ谷駅付近の谷には名前が付けられていない。かつてはこれらの谷にも和泉川に流れ込むようにして小川が流れていたが、現在では暗渠化などにより消滅している。小笠原窪はかつて当地にあった唐津藩小笠原家の屋敷から、地蔵窪は子育地蔵尊から名付けられたと考えられている[7]。牛窪ではかつて極悪人を牛裂きの刑に処していたという伝承があり(牛窪の名前の由来)[8]、処刑された罪人の霊を鎮めるために建立されたという牛窪地蔵尊が現在でも祀られている。 他に特筆すべき点として、幡ヶ谷を流れていた川(和泉川)が神田川の水系に属していることが挙げられる。渋谷区の他の地域の川が渋谷川の水系に属すのに対し、区内で唯一神田川の水系に属する川を持つ幡ヶ谷は、同じく神田川水系の川がある新宿区や中野区に近い性質を持つと言えるだろう。 2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[9]。 丁目事業所数従業員数 経済センサスによる事業所数の推移。 事業者数推移年事業者数 経済センサスによる従業員数の推移。 従業員数推移年従業員数 地域の大部分が住宅街であるが、甲州街道周辺を中心に企業の社屋も存在する。ここでは主なものを挙げる。
地理
隣接地域
地形和泉川の暗渠
遊歩道になっている
産業
事業所
幡ヶ谷一丁目220事業所3,145人
幡ヶ谷二丁目395事業所3,992人
幡ヶ谷三丁目136事業所753人
計751事業所7,890人
事業者数の変遷
2016年(平成28年)[10]778
2021年(令和3年)[9]751
従業員数の変遷
2016年(平成28年)[10]6,923
2021年(令和3年)[9]7,890
主な企業伊藤園本社
山手通り沿いにあるテルモ本社旧社屋
2010年頃解体され現存しないオリンパス幡ヶ谷事業所
こちらも2010年頃解体され現存しない
カシオ計算機本社(本町1丁目)
伊藤園本社(本町3丁目)
帝国石油本社(幡ヶ谷1丁目)