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幕末塾
出身地 日本
ジャンルアイドル歌謡曲
活動期間1988年 - 1990年
レーベルNECアベニュー
事務所太田プロダクション
共同作業者秋元康
(プロデューサー)
メンバー左鈴気
彦摩呂
雅
新兵衛
黒之助
剣介
鼓太郎
咲輝
小次郎
尚舞
幕末塾(ばくまつじゅく)は、日本の演劇パフォーマンスユニット、男性アイドルグループである。デビュー時の所属事務所は太田プロダクション、レコード会社はNECアベニュー。 1988年2月14日[1]、当時原宿でストリートパフォーマンス活動をしていた数十名の中から11名の有志で結成される。当初は「一世風靡セピア」のようなパフォーマンスグループを目指していた[2]。その後、正志郎(せいしろう)というメンバーがアクロバットの練習中の転落事故により死亡。残った10名で活動を続ける。 同年5月、フジテレビ主催の『ナイスガイ・コンテスト』に出場し、「幕末塾」全体で準グランプリを受賞(このときのグランプリ受賞者は吉田栄作)。太田プロダクション所属となり、下北沢駅前劇場で月1回の定期ライブで演劇・コントなどを披露する。 秋元康のプロデュースにより、1989年4月26日にシングル「Come on Let's Dance」[注 1]でデビュー。1990年4月には日本青年館で単独コンサートを開催した。 グループ全体での活動が続いていたのは1988年から1990年末の実質3年程度で、当時からメンバーは個人での活動をしていた。正式に解散や活動休止の宣言がされたことはなく、榊原が(自身は「昔いたグループ」としながらも[3])「幕末塾は正式に解散していない」という発言もしているが[4]、メンバーのほとんどはブログ等で自分達を「元・幕末塾」「元メンバー」と称している。 2000年代に入って以降も、咲輝、鼓太郎、彦摩呂、雅、小次郎などは他メンバーの舞台観劇、プライベートでの交友などを報告することがある。 2022年1月26日、「あいつ今何してる? 復活2時間SP」にて30年ぶりにパフォーマンスを披露した。 この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノート メンバーの名前は基本的に本名(数名は本名と芸名は別)から一部を取り、幕末志士風にアレンジしたもの。CDジャケット等では、「番号 - 幕末塾生名 - 本名」という表記がされている。(★は太田プロダクション在籍者[注 2])
概要
沿革
1988年2月14日、パフォーマンス集団「幕末塾」結成
1988年5月8日、フジテレビ主催「ナイスガイ・コンテスト・イン・ジャパン」にて準優勝を獲得
1988年12月18日 - 21日、香港ロケ(プロモーションビデオ)
1989年4月4日、デビュー・コンサート(サウンド・コロシアムMZA有明)
1989年6月2日 - 6日、サイパン ロケ(プロモーションビデオ)
1990年4月15日、ファースト・コンサート(日本青年館)「時代を殴るには自分の素手がいい」
メンバー
01 - 左鈴気(さすけ)
本名:鈴木純一(すずき じゅんいち)[5]メンバー総出演となったテレビドラマ『びんた』では咲輝・鼓太郎とともにメインキャストの一人を務めた。ブレイクダンス命の人気キャラクターとして活動。
02 - 彦摩呂 (ひこまろ)★
本名:原吉彦(はら よしひこ)2代目リーダー。2000年代にグルメレポーターとして知名度を上げた頃から、幕末塾活動時との体型のギャップがよくバラエティ番組で取り上げられ、当時の映像を流されることがある。自身も「元アイドル」をよくネタにしている。
03 - 雅 (みやび)
本名:森雅彦(もり まさひこ)、現・雅まさ彦歌、ダンス中心だったが、黒之助とコンビを組み太田プロライブに出演しコントをすることもあった。太田プロダクション退所後は俳優を続けながら芸能プロダクションを設立、子役の育成を行っている。