幕府
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「柳営」はこの項目へ転送されています。台湾台南市の市轄区については「柳営区」をご覧ください。

この項目では、日本の武家政権について説明しています。中国における地方官の秘書組織については「幕府 (中国)」をご覧ください。

幕府(ばくふ)は、日本において征夷大将軍を首長とする武家政権もしくはその政庁を指す語[1]

日本では中世から近世にかけて、武家の棟梁を首班とする政権が次々と成立した。江戸時代中期以降、これらの武家政権の中でも特に征夷大将軍を首班とするものを幕府と称するようになった。現在の歴史用語としては、鎌倉幕府室町幕府江戸幕府の3つを一貫して把握する語として用いられており、厳密には首長が征夷大将軍に任ぜられていない期間も含まれる。どの幕府も形式上は将軍の家政機関の形態をとっていた。

名称時代政庁創設者将軍家代数補佐職
鎌倉幕府鎌倉時代相模国鎌倉源頼朝源家摂家宮家9代執権北条氏得宗家)
室町幕府室町時代山城国京都足利尊氏足利氏15代管領細川氏斯波氏畠山氏
江戸幕府江戸時代武蔵国江戸徳川家康徳川氏15代大老老中

武家政権の中でも、平氏政権織田政権豊臣政権については一般に「幕府」とは呼ばれていない(近年の歴史学における新しい「幕府」呼称の提案については、#新たな「幕府」呼称の事例節を参照)。
語義「幕府 (中国)」も参照

」は「幔幕」・「陣幕」・「帳幕」・「天幕」を意味し、「」は王室等の財宝文書を収める場所、転じて役所を意味する。中国の戦国時代に代わって指揮を取る出先の将軍が張った陣地を「幕府」と呼んだことに由来する。日本では近衛府唐名として用いられ、転じて近衛大将の居館および近衛大将その人を指すようになった。「幕下(ばっか、ばくか)」あるいは「柳営」[注釈 1]ともいった。
日本における「幕府」呼称

源頼朝建久元年(1190年)、権大納言と右近衛大将(右大将)[注釈 2]に任じられた。そのため、政庁(居館)が「幕府」と呼ばれた。その後、建久3年(1192年)に征夷大将軍に任ぜられるが、居館は引き続き「幕府」と呼ばれ、以後、「幕府」は武家政権の首長およびその居館の呼称として用いられた。ただし、鎌倉時代末には、現代において「鎌倉幕府」と呼ばれている政体を「東関柳営」もしくは「東関幕府」と呼んだという同時代史料が存在している[2]

南北朝時代には、鎌倉公方(関東公方)の政体を「関東幕府」と呼んだ事例が存在するが、京都と対立する関東の政権にしか用いられておらず、京都の公方(=「室町幕府」)はこのように幕府という用語では呼ばれていない[2]

「幕府」という言葉が将軍個人や空間的な将軍の居館・政庁から離れ、今日のように観念的な武家政権を指すものとして用いられるようになるのは、と同じく江戸時代中期以降のことで、朱子学の普及に伴い、中国の戦国時代を研究する儒学者によって唱えられた。「鎌倉幕府」や「室町幕府」という言葉はこの時代以降に考案されたものである。それ以前には「関東」「武家」「公方」などと呼ばれており、それぞれの初代将軍が「幕府を開く」という宣言を出したことも、朝廷が幕府を開くようにと命じる詔勅もない。


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