幕下付出
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付出(つけだし)とは、大相撲において学生・アマチュア時代に優秀な成績を収めた力士の地位を優遇する制度である。附出、付け出しとも表記する。

2023年11月現在、幕下最下位格付出と、三段目最下位格付出の2種類が存在する。付出となった力士の名は、付け出された場所の番付には載らず[注釈 1]、幕下・三段目で相撲を取り、その本場所の成績によって翌場所の地位が決められ正式に番付に記載される。
対象者(現行制度)

現行では義務教育を終了(中学卒業見込みを含む)した25歳未満(付出資格申請日時点)の男子のうち、次の基準を満たした者に付出が認められる。なお、付出が認められた者は体格が不問とされ、新弟子検査の体格検査が免除される。期限はいずれも所定の成績を修めた日から1年間[注釈 2]であるが、資格取得時点で24歳の場合は25歳の誕生日を迎えるまで(事実上は25歳の誕生日を迎える直前の本場所における新弟子検査申込締切日まで)となる。

大会名開催時期幕下最下位格付出三段目最下位格付出
全国高等学校総合体育大会相撲競技大会8月(なし)個人無差別級4強以上
国民体育大会相撲競技10月成年の部個人8強以上成年の部個人16強以上
少年の部個人4強以上
全国学生相撲選手権大会11月個人8強以上個人16強以上
全日本相撲選手権大会12月

制度の変遷
1966年5月以前

付け出しの制度は大正以前から存在し、その実力に応じて各段の番付上に付け出された。幕下のみに付け出されるようになったのは昭和に入ってからのことであり、非常に実力のある力士の場合、幕内付出にされる場合もあった(由良ノ海楫五郎など)。明治から大正にかけて大坂相撲が存在していた頃には、さまざまな事情で大坂相撲から東京相撲へ移籍するケースも多く、その際には幕内をはじめ、実力相応の地位に付け出されることもあった。1960年(昭和35年)の大塚(豊國)範以降、大学を卒業したものは幕下に付け出すという慣例ができた。付け出される枚数は師匠の推薦によって認められた[1]ためその都度異なり、内田(豊山)勝男は10枚目格で付け出された。

なお幕下付出力士が2点以上負け越す三段目を飛び越して序二段へ、全敗した場合序ノ口まで下げる規定が存在し[2]、1966年3月場所に幕下50枚目格(当時は幕下は100枚)で初土俵を踏んだ山田(山田山)修身は2勝5敗と負け越したため翌5月場所は東序二段50枚目まで下げられた(その場所は7戦全勝で優勝)。
1966年5月 - 2000年(平成12年)9月

山田山のケースをきっかけに、1966年(昭和41年)5月から幕下最下位格付出に固定された。編成上は最下位の枚数(2015年現在は60枚目)と同列に扱われ、負け越しても序二段(あるいは序ノ口)ではなく成績通りに三段目に陥落するよう改められた[2]。実際、野村双一(出羽の花義貴)のように一度は跳ね返されてしまう力士や十両昇進を果たせなかった力士もいた。2場所連続で全勝、またはそれに近い成績を挙げれば2場所で十両に昇進できる。この期間内に2場所で十両昇進を果たした力士としては輪島博(大士)、長岡末弘(朝潮太郎)、尾曽武人(武双山正士)、竹内雅人(雅山哲士)の4人が知られる。

当初は大学相撲の体重別で上位入賞の経験があれば、卒業するとほぼ無条件で幕下最下位格に付け出され[注釈 3]1992年平成4年)3月場所には成松(智ノ花)伸哉が27歳で幕下付出で初土俵を踏み、妻子持ちで教職を辞しての初土俵が話題となるなど年齢制限も設けられていなかったが、同年には秋本(大凰)紀久が初土俵から3場所連続で負け越すなど付出力士の資質が問題となったため、5月場所中の理事会において「申請から直前の2ヶ年において全日本選手権ベスト16以上、学生選手権、実業団選手権、国体成年Aのいずれかに優勝、または3位以内が2回」に基準を厳格化した上、力士志望者の年齢も「義務教育を終了した20歳未満・幕下付出申請可能な年齢を25歳未満」とすることが決定、さらに6月6日の理事会では対象大会に東日本学生選手権、西日本学生選手権が加えられた。しかし12月25日の理事会で両大会が再び対象から除外されると同時に付出申請可能な年齢の下限が「高校卒業の者を除く満20歳以上」と設けられ(付出を除く力士志望者の年齢は23歳未満と緩和)、1993年(平成5年)1月から適用された[3][4]

1993年3月以降で、学生相撲出身ながらも資格が得られず前相撲から取った力士では、堤内(北勝光)康仁が初めて十両に昇進し、さらに谷地(栃乃花)仁が入幕を果たし三役まで昇進するなど活躍した。そのことで下積みの重要性が再認識され、時津風理事長(元・豊山勝男)によって[注釈 4]、基準が厳格化されるきっかけとなった。
2000年9月- 2023年(令和5年)9月

2000年(平成12年)9月から基準がさらに厳格化され、全日本相撲選手権、全国学生選手権、全日本実業団選手権、国体(成年[注釈 5])のいずれかで優勝した場合は幕下15枚目格付出、全日本選手権と他のいずれかの大会で優勝した場合は幕下10枚目格付出と定められた。これにより、タイトル獲得者以外が幕下付出資格を得ることはできなくなった一方で、付け出される枚数は従前より上位の幕下10枚目格付出と幕下15枚目格付出に改められた。幕下15枚目以内で全勝した場合は十両昇進の対象とする内規があるため、これにより最短1場所で関取になることが可能となった。時津風も新基準を「15枚目格」とした根拠としてこの利点を挙げていた[6]。当初はタイトルを取った当年度限り有効とされていたが、新制度適用第1号の垣添徹が資格取得後の怪我で初土俵が遅れたため、2002年2月19日の理事会で優勝の日から1年間と有効期間が改められた。さらに同日の理事会では年齢の下限を20歳以上から現行の規定となる義務教育終了見込みとし、高校生以下にも全日本相撲選手権の成績による付出資格が認められるようになった[6][注釈 6]

2015年(平成27年)には、幕下付出より一段落とした三段目付出の制度が創設され、2015年度以降の全日本選手権、実業団選手権、国体成年の部のいずれかで8強以上に進出した場合に三段目100枚目格付出の資格が与えられることになった[8]。同年12月18日の理事会で、三段目付出の資格を持っている場合は体格不問とされることになった[9]2016年度以降は全国学生選手権で8強以上に進出した場合も三段目100枚目格付出の資格が与えられることになった[10]2022年(令和4年)5月場所以降は90枚目格付出とされたが[11]、これは三段目の定員が東西100枚(200人)から東西90枚(180人)に削減されたことに伴うもので、三段目の最下位格という点は変わらない。

2020年10月29日以降は、新型コロナウイルス感染拡大の影響を考慮して、当面の間は付出資格の有効期限が2年間に拡大されることになった[12]。この措置は同時点で既に保持していた資格にも適用され、2021年9月30日には2019年全日本相撲選手権4強の勝呂(藤健勝)歩紀の三段目付出が承認された。この期限延長措置は2023年3月30日付で廃止された[13]

2023年11月場所までで、幕下15枚目格付出力士は22人、10枚目格付出力士は4人。三段目最下位格付出は2015年の制度創設から2023年の制度改定前までで15人。市原(清瀬海)孝行アマチュア横綱に加え国体成年Aに優勝し、初めて幕下10枚目格付出の資格を得て2007年1月場所に初土俵を踏んだ。黒川宏次朗(拓殖大学職員、現拓殖大学相撲部コーチ)は、社会人1年目の2018年に実業団横綱とアマチュア横綱の2冠を獲得し幕下10枚目格付出資格を取得したが、大相撲入りしない意思を表明し[14]、資格行使の最終期限である2019年11月場所までに新弟子検査を受検しなかったため10枚目格付出資格を取得しながら行使しなかった唯一の事例となった。付出資格の有効期限が1年間から2年間に拡大されていた2020年10月から2023年3月までは、アマチュア横綱とその他のタイトルを異なる年度において獲得した場合でも幕下10枚目格付出の対象とされた[15]。2023年9月場所の新弟子検査を受検し、同11月場所に幕下15枚目格付出で初土俵を踏んだ阿武剋一弘(2022年度学生横綱)が最後の適用者となった。

2006年(平成18年)に実業団横綱となった石前辰徳(鳥取県体育協会)は幕下付出を申請したが、資格取得時(2006年9月)は24歳であったものの2007年(平成19年)1月場所の新弟子検査時に25歳となるため(1981年12月1日生まれ)、年齢制限により入門と付出が承認されず、角界入りを断念した。

制度上は幕下付出から1場所での十両昇進も起こり得たが(幕下10、15枚目格付出からの7戦全勝が該当)、この規定になった2000年以降、2023年現在まで1場所で十両昇進した力士は2023年1月場所で落合(伯桜鵬)哲也が15枚目格で7戦全勝し、翌3月場所の新十両を決めた1回のみ[16]。2場所で十両に昇進した力士としては成田(豪風)旭内田(普天王)水遠藤聖大逸ノ城駿御嶽海久司矢後太規大の里泰輝の7人がいる(遠藤、御嶽海、大の里は10枚目格付出)。


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