常盤新平
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常盤 新平
(ときわ しんぺい)
ペンネーム大原 寿人
誕生 (1931-03-01) 1931年3月1日
日本岩手県
水沢市(現・奥州市
死没 (2013-01-22) 2013年1月22日(81歳没)
日本東京都町田市
職業小説家、翻訳家
言語日本語
国籍 日本
最終学歴早稲田大学大学院
活動期間(創作、エッセイ)1960年代 - 2013年
(翻訳)1950年代 - 2013年
ジャンル小説、翻訳、エッセイ
代表作『遠いアメリカ』(1986年)
主な受賞歴直木三十五賞(1987年)
配偶者あり
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常盤 新平(ときわ しんぺい、1931年昭和6年〉3月1日 - 2013年平成25年〉1月22日)は、日本作家翻訳家・アメリカ文化研究者。別名に、大原寿人(おおはらとしひと)。
来歴

岩手県水沢市(現・奥州市)生まれ。母親は福島県の出身[1]。税務署員だった父親の転勤に伴って生後半年で水沢を離れ、山形県長井町、宮城県石巻市と転居した[2]。小学校時代に仙台市に落ち着き、高校卒業までを同地で過ごした[2]宮城県仙台第二高等学校を経て、早稲田大学第一文学部英文科卒。同大学院修了。
編集者として常盤が編集長とした関わった時代の『HAYAKAWA'S ミステリ・マガジン』。写真は1966年3月号。

早川書房に入社。1961年には新雑誌「ホリディ」の編集長になるが1号のみの発行となる。都筑道夫生島治郎の後任として、ミステリー小説誌 『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』(日本版)の三代目編集長を、1963年(昭和38年)から6年間務めた。ただし、常盤はミステリはそれほど好きではなかったので、デイモン・ラニアンリング・ラードナーら、雑誌「ニューヨーカー」系のユーモア小説なども、よく掲載していた。また星新一のアメリカの一コマ漫画紹介エッセイ「進化した猿たち」を連載させた。

また、その間の1964年(昭和39年)には、海外の文学作品や、スパイ小説、冒険小説などを紹介するシリーズ「ハカヤワ・ノヴェルズ」を創刊し、その最初の作としてジョン・ル・カレの「寒い国から帰ってきたスパイ」を刊行。以降も話題作を紹介し、人気シリーズとした(現在は、大半の作品が「ハヤカワ文庫NV」に収録されている)。1969年(昭和44年)、『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』誌の編集長を各務三郎に譲り、その後は早川書房の「SF以外のすべての分野の編集局長」となるが、社内抗争のため、同年に退社した[3]
文筆家として

早川書房を退社してフリーの文筆生活へ。アメリカの雑誌「ニューヨーカー」の黄金時代の作品や、20世紀の文学ニュー・ジャーナリズムの作品を翻訳して日本に紹介する翻訳家、そしてアメリカの雑誌や人物を紹介するエッセイスト、さらに作家として知られるようになった。

1979年(昭和54年)から川本三郎青山南とともに編集委員として『ハッピーエンド通信』を刊行。

1986年(昭和61年)には、アメリカにあこがれペーパーバックを読みあさり、翻訳の勉強にいそしむ大学院時代の自身を描いた自伝的小説、『遠いアメリカ』が、第96回直木賞を受賞した。

2013年(平成25年)1月22日、肺炎のため東京都町田市の病院で死去[4]。81歳没。
人物

作家、
山口瞳を師とあおぎ、山口の著作からセレクトした本を刊行している。

競馬好きとしても知られ、競馬についてのアンソロジーを編んでいる。さらに、将棋好きでもあり、将棋を愛する作家、ジャーナリスト、観戦記者たちの団体「将棋ペンクラブ」が与える賞、「将棋ペンクラブ大賞」の選考委員を1996年から2005年までつとめた。

一度の離婚を経て、再婚し[5]、東京都町田市つくし野に暮らした[5][6]

1997年1月30日、藤岡信勝西尾幹二らによって「新しい歴史教科書をつくる会」が設立されると[7][8]、各界著名人が賛意を表し、同年6月6日時点の賛同者は204人を数えた。常盤もその中に名を連ねた[9]

著書

『名探偵
ピンカートン』(岩崎書店) 1969

『アメリカ黄金時代 禁酒法とジャズ・エイジ』(新書館) 1972

『アメリカが見える窓』(冬樹社) 1979 のち徳間文庫

『はじまりはジャズ・エイジ』(講談社) 1979 のち講談社文庫

『アメリカの編集者たち』(集英社) 1980 のち新潮文庫

マフィア経由アメリカ行』(冬樹社) 1980 のち徳間文庫

『ブックス&マガジンズ アメリカ出版界通信』(サイマル出版会) 1981

『アメリカンジャズエイジ』(集英社文庫) 1981

『雨あがりの街』(筑摩書房) 1981 のち文春文庫

『彼女のアメリカ』(新潮社) 1981

『コラムで読むアメリカ』(大和書房) 1981 のち旺文社文庫

『酒場の時代 1920年代のアメリカ風俗』(サントリー) 1981 のち文春文庫

『アメリカン・ベストセラーズ 常盤新平せれくと書評』(PHP研究所) 1982 のち旺文社文庫

『ニューヨーク五番街物語』(冬樹社) 1982 のち集英社文庫

『グラスの中の街』(筑摩書房) 1983『グラスの中の街』(文藝春秋) 1987 のち文春文庫

『プロ野球遠めがね』(文藝春秋) 1983

『ニューヨーク紳士録』(弥生書房) 1983 のち講談社文庫

『ニューヨークの女たち』(大和文庫) 1984

『晴れた日のニューヨーク』(PHP研究所) 1984 のち旺文社文庫

『ベースボール・グラフィティ』(講談社) 1984 のち講談社文庫

『高説低聴 常盤新平インタビュー集』(講談社) 1984

『川明かりの街』(筑摩書房) 1986 のち文春文庫

『アメリカン・ゴシップnow』(講談社) 1986 のち『ザ・ニューヨーク・アイ・ラヴ』に改題(講談社文庫)

『アメリカン・マガジンの世紀』(筑摩書房) 1986

『遠いアメリカ』(講談社) 1986 のち講談社文庫、小学館

『キミと歩くマンハッタン』(講談社) 1988

『彼女の夕暮れの街』(実業之日本社) 1989

『そうではあるけれど、上を向いて』(講談社) 1989

『アメリカン・マガジンの女たち』(大和書房) 1989


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