常広城
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常広城
佐賀県
別名恒広城、鹿島古城
城郭構造平城
築城主不明
築城年中世
主な城主有馬氏鍋島氏
廃城年文化4年(1821年
位置北緯33度07分10.9秒
東経130度06分07.9秒
地図 常広城

常広城(つねひろじょう)は佐賀県鹿島市常広に存在した平城
目次

1 立地・構造

2 歴史

3 参考文献

4 関連項目

立地・構造

佐賀県鹿島市の、塩田川と鹿島川の間の沖積地に位置した。標高が1.5mと低く、有明海にも近いため水害が多発した。外周は土塁で囲まれ、その全長は893余と記されている。
歴史

築城年代は不明だが、龍造寺隆信有馬氏から当城を奪い、鍋島信房を置いたという記録がある。江戸時代に入ると佐賀藩の支藩・鹿島藩が代々の居館とした。しかし水害のため9代藩主の鍋島直彜は移転を決め、文化4年(1821年)に鹿島城が完成すると当城は廃された。跡地は鹿島市立北鹿島小学校になっている。
参考文献

角川日本地名大辞典編纂委員会『
角川日本地名大辞典(41.佐賀県)』、角川書店1982年

関連項目

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更新日時:2018年7月31日(火)03:52
取得日時:2019/07/19 11:06


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