常安寺
本堂
所在地三重県鳥羽市鳥羽二丁目12-3
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度28分54.6秒 東経136度50分17.7秒 / 北緯34.481833度 東経136.838250度 / 34.481833; 136.838250
常安寺(じょうあんじ)は、三重県鳥羽市にある、曹洞宗永平寺派の仏教寺院。山号は玉龍山。
鳥羽藩初期の藩主・九鬼家の菩提寺である。鳥羽志摩には曹洞宗の寺院が多いが、九鬼守隆がこの寺の伽藍を整備したことと、鳥羽藩後期の藩主・稲垣家が曹洞宗の金胎寺を菩提寺としたことが影響している[1]。 鳥羽三山[注 1]の1つ樋ノ山の北麓に位置する。水軍を率いた九鬼嘉隆の子である九鬼守隆が父・嘉隆を開基に立て、父の帰依が深かった玉龍山大福寺を一大伽藍とした寺院である[2]。 本尊は釈迦如来坐像(像高94cm)[3]。曹洞宗66寺の僧禄寺、志摩国の仏教諸宗の触頭であった[4]。 本堂を中心に、薬師堂・准提堂・庚申堂・十王堂・地蔵堂などの堂と山門、鐘楼がある[3]。九鬼家の墓所は、山門から本堂の方向を見た時、左手にある山裾を進むとある[5]。境外には、鎮守として豊川?枳尼尊天堂がある[3]。屋根瓦などには九鬼家の家紋である九曜星が入っている[6]。 創建年代は不詳である[7]が、本尊の釈迦如来坐像は室町時代の作である[3]。常安寺を名乗る前は玉龍山大福寺と称し、真言宗の寺であった[8]。文禄の役(文禄元年 - 文禄2年〔1592年 - 1593年〕)の折に九鬼嘉隆の香花院となる[4]。九鬼嘉隆は曹洞宗への信仰が篤く、三河国宝飯郡(現在の愛知県豊川市)の豊川妙厳寺から天堂伊尭(てんどう いぎょう)禅師を招き、大福寺を曹洞宗に改めた[8]。慶長5年(1600年)、豊川妙厳寺七世悳善達和尚の法嗣・貫室禅道和尚を大福寺に招聘(しょうへい)し、同寺の末寺となった[4]。同年、九鬼守隆は両親の菩提を弔うため、大福寺の改築を開始した[2]。当時の本堂は現在の薬師堂だったとされる[7]。 慶長12年2月(グレゴリオ暦:1607年2月?3月)に七堂を持つ伽藍が落成、入仏式に際して玉龍山大福寺を東照山常安寺に改めた[2][4]。
概要
境内外
歴史
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