帰って来たヨッパライ
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帰って来たヨッパライ

帰ってきたヨッパライ

「帰って来たヨッパライ」
ザ・フォーク・クルセダーズシングル
初出アルバム『ハレンチ
B面ソーラン節(7インチシングル盤)
悲しくてやりきれない(8cmCD)
リリース1967年12月25日(7インチシングル盤)
1991年6月7日(8cmCD)
規格7インチシングル盤
8cmCD
ジャンルフォークソング
コミックソング
レーベルCapitol Records /
東芝音楽工業(7インチシングル盤)
EXPRESS /
東芝EMI
(8cmCD)
作詞・作曲フォーク・パロディ・ギャング(松山猛北山修
作曲:加藤和彦
チャート最高順位


1位(オリジナル盤、オリコン

1968年度年間2位(オリコン)

ザ・フォーク・クルセダーズ シングル 年表

-帰って来たヨッパライ
(1967年)悲しくてやりきれない
1968年


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『帰って来たヨッパライ』(かえってきたヨッパライ)は、ザ・フォーク・クルセダーズデビューシングルであり、同グループの代表曲である。

一般には「帰ってきたヨッパライ」と曲名が表記されることが多いが、初版レコードでは「帰って来たヨッパライ」となっている。キャピトルレコードによる英文曲名表記は I ONLY LIVE TWICE [注釈 1]。英題を命名したのは高嶋弘之ディレクターである[1]。この英題は映画 『007/You Only Live Twice』のもじりである。
解説

1967年12月25日[2]に東芝音楽工業(のちの東芝EMI→EMIミュージック・ジャパンユニバーサル ミュージックLLC)の洋楽レーベル・キャピトルレコードからシングル盤が発売された(7インチシングル盤規格品番:CP-1014、B面は「ソーラン節」を収録)。

ラジオ関西で放送されると、早回しのテープと奇想天外な歌詞で反響を呼んだ。「アングラ・フォーク」のブームを生み出した曲である[注釈 2]オリコンチャート史上初のミリオン・シングル(1968年2月15日付にて達成)[3][4]で、日本のコミックソングの代表的な作品。

飲酒運転で交通事故を起こして死亡した、東北弁を話す主人公が長い雲の階段を通って天国へ登るが、その天国でも酒と美女に浮かれてばかりだったため、関西弁を話す「怖い神様」からの「お仕置き」で天国を追い出されて生き返る顛末を、テープの高速回転による甲高い声と伴奏で語る歌である。

途中で2度挿入される「神様」の説教は通常速度で録音され、早回しの伴奏にオーバーダビングしてある。「神様」の説教は、上記の通り北山修によるスローな関西弁で、バックに流れる「天国と地獄」とギャップがある。

メロディ自体はシンプルなリフを繰り返すもので、民謡草津節」の有名な歌い出し「草津良いとこ一度はおいで」をもじった歌詞も詠み込まれる。曲の間奏はビートルズの「グッド・デイ・サンシャイン」の間奏がパロディ風に演奏され、北山が扮する僧侶が般若心経読経し、続いてビートルズの「A Hard Day's Night」の冒頭の歌詞が読まれる。そしてベートーヴェンバガテルエリーゼのために」(北山の妹による演奏)が奏されフェイドアウトしていく。

加藤和彦によると、この曲はアメリカのカントリー・ソング「夢に見たヒルビリー天国」(英語: I Dreamed of a Hill-Billy Heaven)を下敷きにしたものだという[5]

もともとは、「フォーク・クルセイダーズ」名義だったインディーズ(自主制作)LPの『ハレンチ』に収められていた曲である。当時のフォークルのメンバーは北山修、加藤和彦、平沼義男、芦田雅喜の4人であったが、芦田がヨーロッパ旅行に出かけることになり、解散記念として自主制作LPを録音した。彼らが好きだった名作のカバーの中に、1曲のオリジナル作品を含めることが決まり、本作はその時に生み出された[6]

1967年11月5日[注釈 3]に、この曲がラジオ関西の深夜番組『若さでアタック』で放送されて近畿地方で密かなブームとなり[7]、それを聞き付けて原盤権を獲得したパシフィック音楽出版(PMP、現フジパシフィックミュージック)の専務だった高崎一郎が自らパーソナリティを務める『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)で流したところ、これがきっかけとなり、たちまち日本全国に反響が広がった[7]。PMPで実際に獲得交渉にあたった朝妻一郎と朝妻にこの曲を紹介した音楽評論家木崎義二の対談[8]によると、高崎がPMP社長でニッポン放送常務だった石田達郎にこの曲を聴かせたところ、石田は「この曲はオールナイトニッポンだけでかけろ」と指示。相乗効果で『オールナイトニッポン』も人気番組となった[注釈 4]

それで当時の全てのメジャー・レーベルがフォーク・クルセダーズとシングル盤の発売交渉を行ったが、東芝だけがフォークル側の「年内発売」の条件を受け入れ、彼らが吹き込んだ当初のモノラル録音のテープで発売する権利を得た[9][10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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