陸軍の単位
総軍
地域軍
戦域軍
陸上総隊
軍集団
方面軍
戦線
軍(方面隊)
軍団
師団
師団(しだん、仏・英: Division)は、軍隊の部隊編制単位の一つ。旅団・団より大きく、軍団・軍より小さい。師団は、主たる作戦単位であるとともに、地域的または期間的に独立して、一正面の作戦を遂行する能力を保有する最小の戦略単位とされることが多い。多くの陸軍では、いくつかの旅団・団または連隊を含み、いくつかの師団が集まって軍団・軍等を構成する。NATOの兵科記号
編制については、国や時期、兵科によって変動が大きいが、21世紀初頭現代の各国陸軍の師団は、2?4個の連隊または旅団を基幹として、歩兵、砲兵、工兵等の戦闘兵科及び兵站等の後方支援部隊などの諸兵科を連合した6千人から2万人程度の兵員規模の作戦基本部隊である[1]。多くの国において師団長には少将が補せられるが、ブラジルなどの中南米の幾つかの国や日本のように中将が補せられる国もあり、またイスラエルや一部のアラブ諸国では准将が、ソ連・ロシアや東ドイツ等の旧東欧諸国では大佐が務める例も見られる。
divisionという語は欧州の文化を源とする欧米諸国の陸海空軍いずれでも用いられており、陸軍及び海兵隊では師団、海軍では隊又は分艦隊、空軍では航空師団などと訳されることがある[1]。 中世のヨーロッパにおいて、軍隊は一塊の集団として行動するのが一般的であった[2]。人数は数千から数万人程度、貴族・騎士やその家来、攻城兵器を操る技術者などの寄せ集めであり、明確な編成がなかったこともあり、指揮を執ることには困難が伴い、戦術上の必要性に対応することも難しかった[2]。近世になると、機能的な指揮・統制や迂回戦術などの必要性から、総兵力数万人程度の軍を3個程度の集団に分割しての用兵がなされるようになり、これが後の師団制の素地となった[2]。 17世紀、スウェーデン王グスタフ2世アドルフは多くの軍事的改革を行ったが、その一つが小単位部隊編制の合理的・合目的的整備であり、3個戦隊をもって旅団を構成するようにした[3]。三十年戦争でスウェーデンと同盟関係にあったフランス王国もこの方式を導入したが、名称は旧来用いてきたものを踏襲し、戦隊のかわりに大隊(bataillon)、旅団のかわりに連隊(regiment)と称した[3]。連隊は常設単位としては最大規模の部隊であり、戦役ごとに連隊群が軍司令官のもとに糾合されていたが、この頃の名将として知られていたテュレンヌ子爵は、既に連隊よりも大規模な部隊単位としての旅団を構想していたといわれる[3]。 "division"という言葉自体は、18世紀初頭より用いられるようになった[4]。しかしオーストリア継承戦争の時点では、本隊とは別の道を通って行軍するなどしているために総司令官の直接指揮下にない部隊という意味に過ぎず、本隊に合流した時点で消滅する一時的な組織であり、諸兵科連合なども特に意識されてはいなかった[4]。これに対し、サックス元帥は、歩兵連隊を基準とした歩・騎・砲の三兵種から成る戦闘団の臨時編成を試みた[5]。
歴史
フランス王国での創案