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この項目では、「帝」(てい、みかど)という概念・漢字について説明しています。

皇帝・天皇や御殿・御所としての「帝(みかど)」については「みかど」をご覧ください。

帝(てい、みかど、.mw-parser-output .lang-ja-serif{font-family:YuMincho,"Yu Mincho","ヒラギノ明朝","Noto Serif JP","Noto Sans CJK JP",serif}.mw-parser-output .lang-ja-sans{font-family:YuGothic,"Yu Gothic","ヒラギノ角ゴ","Noto Sans CJK JP",sans-serif}旧字体:帝?)とは「宇宙最高の神[1]、「最大最高の神靈上帝[2]、「天下を治めるきみ」を意味する漢字[1]
概要

中国思想史学者の吉永慎二郎の学術論文では、帝という観念とそれを表す漢字は、漢字文化圏の成立に深く関わっているとされている[3]。(19世紀初頭以降、ユーラシア的規模で考古学的な出土文物が検証されており、そこにはユーラシアの一部として他文明と入り混じったと思しき中国文明文字天文学宗教的観念も含まれている[4]。)

帝は祖霊と結びついたシャーマニズム的・人格神的な神格の観念であると吉永は述べている[2]赤塚忠と島邦男の研究によると、古代の殷王朝の初期に祖神的・上帝的な神格についての信仰はあったが、全体的にはこの祭政一致の文明は後世よりも、自然を神々として祭祀する自然崇拝に近かった[5]。これらの研究を踏まえた吉永によれば帝は、多神教的には神々の頂点に立っているが、考古学的・歴史学的には様々な神観念よりも後に出現した観念だと考えられる[2]

そうした背景があって、帝は価値的および空間的には下と上を包含する概念だった[6]。すなわち神権政治的な思想上、帝は時には天候)を支配する上の存在であり、時には地下世界他界あの世)を支配する下の存在であると吉永はいう[7]

長期的には最高神の観念が帝から天へ変わっていき、周王朝の終わり頃にはまた帝が復活した[8]。このような思想史の延長線上に、秦の始皇帝が称した皇帝も位置していると吉永は結論している[8]
関連項目

天子[9]

皇帝帝王/天子/天帝上帝

天皇


天皇大帝北斗七星北極星帝星北辰北辰菩薩こぐま座ベータ星

北辰/天子皇居宮殿

北辰(ほくしん)とは、天子皇居比喩[10]。それは星々の中心──つまり星辰──であり、北極星[10]や北斗七星を指す[11]



三皇五帝 - 天皇 (三皇)

帝国主義」の略称としての「帝」[9]

出典^ a b 小川 et al. 2017, p. 415.
^ a b c 吉永 2005, p. 99.
^ 吉永 2005, p. 98.
^ 吉永 2005, p. 97.
^ 吉永 2005, pp. 98?99.
^ 吉永 2005, pp. 100?101.
^ 吉永 2005, p. 101.


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