帝都高速度交通営団
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帝都高速度交通営団
Teito Rapid Transit Authority

本社(現;東京メトロ本社)
略称営団、交通営団、営団地下鉄
前身東京地下鉄道株式会社東京高速鉄道株式会社
後継東京地下鉄株式会社
設立1941年昭和16年)7月4日
解散2004年平成16年)3月31日
種類特殊法人
法的地位帝都高速度交通営団法
目的東京の地下鉄整備事業
本部東京都台東区東上野三丁目19番6号
関連組織財団法人地下鉄互助会
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帝都高速度交通営団(ていとこうそくどこうつうえいだん、: Teito Rapid Transit Authority)は、東京都特別区(23区)の地下鉄を経営するため、1941年(昭和16年)から2004年(平成16年)まで日本に存在していた日本国政府および東京都出資する鉄道事業者。略名は営団地下鉄、交通営団、営団(英語圏ではT.R.T.A)。
概要
経緯1954年(丸ノ内線開通当時)の団旗。旧字体の『帝都速度交通營團』となっている入口の案内表示(1991年以前の駅名看板とSマーク部分が分離した形態のもの)。東京メトロへの移行直前に撮影されたもので、東京メトロのロゴマークおよび「東京メトロ」の文字がステッカーで覆われている。駅名に「営団」がついていた営団成増駅(現・地下鉄成増駅)の入口

帝都高速度交通営団法に設立根拠を持ち、交通関係の省庁所管[1]であった「公法上の法人[2]である。通称交通営団(こうつうえいだん)または単に営団(えいだん)あるいは営団地下鉄(えいだんちかてつ)。イメージソング井上大輔作曲の「未来よ君は美しい」。

日中戦争中に、国家による統制管理のために設置された経営財団、いわゆる「営団」の一つである。「帝都」とは大日本帝国首都、すなわち東京のこと、「高速度」とは新幹線のような高速鉄道の意味ではなく、かつて市内交通の主役であった路面電車に対して「高速」である『都市高速鉄道』の意味である。英語表記は “Teito Rapid Transit Authority” で、 “TRTA” という略称もあった。

東京地下鉄道東京高速鉄道によって行われていた東京市の地下鉄建設・運営事業を統合し、一元的に東京の地下鉄を建設・経営する公共企業体として発足した。元々は1930年代の不況の中、他の交通機関と競争を続け経営難に陥っていた交通事業者を統合して救済する「交通調整」を目的に設立が検討され(この理念を体現したのがのちの陸上交通事業調整法である[3]。当時このような交通事業の再編は、自動車の急増を背景としてロンドンベルリンで既に行われており、世界的なトレンドであった)、地下鉄のみならず東京近郊のすべての鉄道とバス事業を担う巨大交通事業者となることが期待された。ところが1937年に日中戦争が開戦すると一転好景気となり、それに伴う輸送量の急増により「交通調整」の前提が崩れた。そこで計画が見直され、地下鉄の整備を新設の特殊法人(交通営団)が担い、路面電車やバスなどは東京市(のちに東京都)が管理するという体制となった[4]

第二次世界大戦後、日本を占領した連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の指令により、帝都高速度交通営団を除く営団は解散もしくは公団へ移行した。当営団についてもGHQは当初、戦時体制下の非民主的組織であるとして廃止を検討し、地下鉄運営の主導権を戦前より狙っていた東京都がこれを強く支持した。しかし、当時の東京都に地下鉄運営の実績がなかったことと、「交通営団は戦争目的の統合ではなく、当時世界的なトレンドであった交通事業再編の議論の一環で設立された組織」であるとする国と当営団の主張がGHQに受け入れられたためにそのまま維持され、旧憲法下の「帝都」を名称に含む組織は新体制移行後60年近くという長期に亘って存続した[4]

その間、東京都の直営による地下鉄事業開始(1960年)や国鉄分割民営化1987年)など交通経営を取り巻く情勢の変化もあったが、当営団はあまりそれらの影響を受けなかった。
営団の廃止・株式会社化

営団の民営化については、1995年(平成7年)の閣議で南北線もしくは半蔵門線が完成した頃を目途に、第一段階として特殊会社化する方針を閣議決定した。その後、2001年(平成13年)12月に当時の小泉内閣が約160あまりの特殊法人認可法人を対象とした特殊法人改革基本法を閣議決定し[5]、その中で営団を半蔵門線延伸開業後の翌年である2004年(平成16年)春に特殊会社化することを決定した。

このような民営化は国鉄分割民営化と比較されることがあるが、日本国有鉄道の場合は、巨額の債務によって実質的に経営破綻を起こしていたのに対し、営団は日本国政府行政改革の一環として、特殊法人改革を行っていたことに由来する。そのため経営には問題はなく、また東京の地下鉄建設というインフラストラクチャー整備の必要性が残っており、民営化には反対意見が多かったが、都市高速道路建設の必要性があった首都高速道路公団も民営化されるため、営団も例外とせず民営化の対象とした[6]。同法案作成時に新会社名を「東京地下鉄株式会社」と定めたことから、新会社名もこの段階で事実上決定した。

新会社では新株発行・代表取締役選定など、重要な事項に関しては行政機関との協議・認可が必要であるが、事業計画・決算は日本国政府(国土交通大臣)への報告のみとなる。またそれ以外の関連事業・社債募集などは、営団時代では国の認可が必要であったが、新会社ではこれが不要となる。その他、発足段階では日本国政府と東京都が新会社へ出資(出資率は国が53.4 %、都が46.6 %)しているが、将来的には全株式上場させ、完全民営化させる計画になっている。

2004年平成16年)4月1日東京地下鉄株式会社法の施行により、当営団の一切の権利及び義務、設備、車両は東京地下鉄に継承された。
性格

「営団」という組織形態は、官民による共同出資を大きな特徴としており、当営団もまた設立当初は、民間鉄道による出資が含まれていたが、こうした民間資本は1951年の法改正により排除され[7]、以降は日本国有鉄道(国鉄分割民営化後は、日本国有鉄道清算事業団を経て、大蔵省→財務省)と東京都の出資による純粋な公法人に変容した[7]。従って、営団地下鉄は、名称として「営団」の名をなお残しながらも、その組織実態としては、国の外郭団体である公団や公社と似通ったものとなっていた。

地方公営企業(市営交通など)、株式会社である第三セクター鉄道とも異なり、日本国有鉄道と東京都の出資による公企業として、独特な位置づけであった。

日本民営鉄道協会(民鉄協)に加盟し、団内労働組合も日本私鉄労働組合総連合会 (PRU) に加盟するなど私企業のような行動をとる一方、テレビCMなど対外的な広告は規制されており、民営化直前の2003年6月までは一切行われなかった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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