帝国芸術院
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

日本美術院」あるいは「日本学士院」とは異なります。

日本行政機関.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}日本芸術院(にほんげいじゅついん)
.mw-parser-output .lang-ja-serif{font-family:YuMincho,"Yu Mincho","ヒラギノ明朝","Noto Serif JP","Noto Sans CJK JP",serif}.mw-parser-output .lang-ja-sans{font-family:YuGothic,"Yu Gothic","ヒラギノ角ゴ","Noto Sans CJK JP",sans-serif}日本藝術󠄁院

日本芸術院会館
役職
院長野村萬
組織
上部組織文化庁
内部部局第一部 美術
第二部 文芸
第三部 音楽・演劇・舞踊
概要
所在地〒110-0007
東京都台東区上野公園1番30号
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度42分48.3秒 東経139度46分29.3秒 / 北緯35.713417度 東経139.774806度 / 35.713417; 139.774806座標: 北緯35度42分48.3秒 東経139度46分29.3秒 / 北緯35.713417度 東経139.774806度 / 35.713417; 139.774806
定員院長1人および会員120人以内
年間予算3億3,522万6,000円(一般会計、2007年度年度)
設置1937年昭和12年):帝国芸術院官制制定
1947年(昭和22年):文部省設置法施行
前身1. 美術審査委員会(1907年6月)
2. 帝国美術院(1919年9月)
3. 帝国芸術院(1937年6月)
4. 日本芸術院(1947年12月)
5. 日本芸術院(1949年5月)*
 *文化庁の「特別の機関」
ウェブサイト
日本芸術院
テンプレートを表示

日本芸術院(にほんげいじゅついん、旧字体:日本藝術󠄁院、英語:The Japan Art Academy)は、美術文芸音楽演劇など芸術のさまざまな分野において優れた功績のある芸術家を優遇し顕彰するために置かれた国の栄誉機関かつ国立アカデミーであり、文化庁特別の機関である。国立の芸術アカデミーとしての性格は、その正式英語名称で明示されており、日本芸術院は、栄誉機関としての役割の他、芸術の発達に寄与する活動を行うとともに、芸術に関する重要事項を審議し、これを文部科学大臣または文化庁長官に意見を述べる役割を担っている。
概要

日本芸術院は、芸術上の功績顕著な芸術家を優遇するための栄誉機関である(日本芸術院令1条)。会員は定員120人以内(2条)で、終身制である(4条)。死亡により欠員が生じた場合、各部会員の投票により、毎年度新会員が選定される(常に全欠員が補充されるわけではない)。文化功労者より低い年金(250万円)が授与されるが、これは特別職の非常勤国家公務員としての給与名目で支給されており課税対象になる。

東京都台東区上野公園にある日本芸術院会館に所在。同会館は会員の懇談や会議に使われるほか、展示室では時折日本芸術院が所蔵する美術作品の一般公開が行われる。毎年6月に天皇皇后が臨席して挙行される日本芸術院賞恩賜賞の授賞式もここで行われる。

帝国芸術院官制に基づき設置された帝国芸術院の改称により設立された。現在は、文部科学省設置法に基づき設置されており、文化庁の特別の機関である。
沿革

1907年(
明治40年)6月 - 「文部省美術展覧会(文展)」の審査を目的とした「美術審査委員会(びじゅつしんさいいんかい)」が設置された。

1919年(大正8年) - 9月5日、帝国美術院規程制定(勅令。美術審査委員会官制は廃止)。美術審査委員会を改組し、文部大臣の諮問に応じて美術に関する意見を開申し、あるいは美術に関する重要事項について建議することを目的とした「帝国美術院(ていこくびじゅついん)」を創設(帝国美術院官制施行)。文部省に代わり、「帝国美術展覧会(帝展。文展から改称)」も主催することとなった[1][2]。9月8日、初代院長に森鴎外、会員に小堀鞆音川合玉堂竹内栖鳳山元春挙富岡鉄斎今尾景年松本楓湖高村光雲新海竹太郎黒田清輝岡田三郎助和田英作中村不折の13名を任命(なお、横山大観下村観山も任命を打診されたが、辞退している)。

1935年(昭和10年) - いわゆる「松田改組」の実施。当時の文部大臣・松田源治の指示の下、30人定員であった従来の会員に、横山大観(日本美術院)をはじめとした在野の芸術家らを新たに20人追加する形で任命[3]。国内美術家の全員一致体制の実現を図った[2]。改革は会員の特権であった無鑑査による出品方法などにも及んだことから、洋画(第二部)の会員が二部会を結成して抵抗を示すなど反発が強まった[4]

1936年(昭和11年) - 2月に改革後、初となる帝展が開催されたが、中堅どころの無鑑査級の作家が帝展改革に反旗を翻して出品を辞退[5]。松田大臣の辞任後に改革を引き継いだ平生釟三郎大臣は、5月に会員懇談会を開催。無鑑査級の作家と新人の発表の場を分けるなど改革に向けた試案を出すが、辞任する会員が相次いだ[6]

1937年(昭和12年) - 開申・建議する分野を芸術全般に拡大し、美術のほかに文芸、音楽等の代表を加え、「帝国芸術院(ていこくげいじゅついん)」に改組(帝国芸術院官制施行)。6月24日付で帝国芸術院官制公布(勅令)、新会員72名を任命。新文展(1936年、帝展から改称)の開催については、これ以降再度文部省の管轄となる。

1941年(昭和16年)3月27日 - 第一回帝国芸術院総会が行われる。1937年に発足以来5年間、放置され続けていた[7]

1942年(昭和17年) - 非会員を対象に、卓越した芸術作品および顕著な業績に対する「帝国芸術院賞」(戦後、「日本芸術院賞」と改称)の授与を開始。

1944年(昭和19年)7月15日 - 7月31日 - 日本芸術院会員による陸軍献納美術展(表慶館)[8]

1947年(昭和22年)12月2日 - 新憲法施行にともない、名称を日本芸術院(にほんげいじゅついん)に変更(政令)。

1948年(昭和23年) - 文部省に代わり、日本美術展覧会(日展。1946年に改称)の開催母体となる。

1949年(昭和24年) - 芸術院会員有志によって「日展運営会」が組織され、同年より1957年(昭和32年)まで、日展は日本芸術院と日展運営会の共同開催となった。

1950年(昭和25年) - 日本芸術院賞の授賞者のうち特に選ばれた者に対し、「恩賜賞」の授与を開始。

1958年(昭和33年)4月26日 - 日展運営会が日本芸術院から独立し、新設の社団法人「日展」となる。以降、日展は社団法人日展の単独開催となり、日本芸術院は日展の直接的な運営から離れる。

1968年(昭和43年)6月 - 文化庁の発足にともない、同庁の特別の機関となる。

2021年(令和3年) - 文部科学省の有識者会議「日本芸術院の会員選考に関する検討会議」の答申[9]に基づき、組織および会員選出方法を改正[10]。新会員の選考にあたり、現会員のみによる推薦・選考とした従来方式から、現会員による投票に先立ち、文化庁が任命する外部有識者と現会員により、新会員候補有資格者の推薦と絞り込みを行う形式とし、同年度の新会員選出から実施した[11][12]

分科・定員の沿革(1937年 - 2007年)[13]分科(1937年 - 1946年)定員分科(1946年 - 2007年)定員
1937年 -1941年 -1946年 -1947年 -1961年 -
第一部 美術第1分科 日本画なし5016第1分科 日本画501650165617
第2分科 洋画14第2分科 洋画141415
第3分科 彫塑9第3分科 彫塑9910
第4分科 工芸7第4分科 工芸778
第5分科 書2第5分科 書223
第6分科 建築2第6分科 建築223
第二部 文芸第7分科 小説・戯曲なし20第7分科 小説・戯曲203037
第8分科 詩歌第8分科 詩歌
第9分科 評論・翻訳第9分科 評論・翻訳
第三部 音楽・演劇・舞踊[註 1]第10分科 洋楽なし10第10分科 洋楽102027
第11分科 邦楽[註 2]第11分科 邦楽[註 2]
?第12分科 演劇[註 3]
第13分科 舞踊[註 4]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:138 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef