布政使
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承宣布政使司布政使(しょうせんふせいししふせいし)は布政使と略称され[1]、方伯、藩台、藩司とも呼ばれた。中国ベトナムにかつて存在した地方官職名である[注 1]
明朝

の時代、布政使は承宣布政使司(地方の行政区画で、おおむね、現代中国のに相当する)の最高行政長官であり、左右に分かれていた。それぞれの地方には1人しか置かれなかった[2]。明の後期には布政司の上には総督・巡撫が置かれ、布・按二司はその監督下にあった。布政使は金銭や食糧などを管理するだけで地位は次第に低下していった[3]

承宣布政使司は役所のことで、その長官が布政使である[4]。よって、略さずに表記する場合は承宣布政使司布政使となる[5]。「承宣布政使」というのは間違った表記である。明代の布政使司は藩司とも俗称され、布政使は藩台とも俗称された。
清朝

の時代、承宣布政使司は布政使司と略されていた。布政使(dasan be selgiyere hafan)は省の最高行政長官である巡撫(giyarime dasara amban)の下に属し、省内の行政事務を担当していたが、品級はその上官である巡撫と同じで従二品であった。当初は左右布政使を設けていたが、康熙3年(1664年)になると布政使一人だけを設けるようになった。
阮朝

ベトナムの阮朝では明命12年(1831年)と明命13年(1832年)の二度にわたって、明命帝が全国のを省に改め、各省に承宣布政使司を置き、総督のいる省には布政使を置き、巡撫のいる省は巡撫が布政使を兼任した。
脚注
注釈^ 根據《教育部重編國語辭典修訂本》 ⇒[1],「布政」乃「施行政教」之意。

出典^ 銭穆:《中國歴代政治得失》
^ 『明会典』巻四 官制三 外官:「貴州止設左布政使一員。」
^明史』職官志:「初置藩司,与六部均重。布政使入為尚書、侍郎,副都御史毎出為布政使。宣徳、正統間猶然,自後無之。」
^ 『明史』巻75 職官四:「承宣布政使司。左、右布政使各一人。」
^清史稿』巻116 職官三:「承宣布政使司布政使,省各一人。」

参考文献 《欽定古今圖書集成・明倫彙編・官常典・藩司部》,出自《古今圖書集成》
関連項目

承宣布政使司

台湾布政使司衙門

布政司


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