布勢博一
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ふせ ひろいち布勢 博一
プロフィール
誕生日 (1931-10-18)
1931年10月18日
出身地 中華民国奉天省奉天市
(現・ 中国遼寧省瀋陽市
死没日 (2018-08-13) 2018年8月13日(86歳没)
死没地 日本東京都
主な作品
テレビドラマ『熱中時代』シリーズ
たけしくん、ハイ!』シリーズ
純ちゃんの応援歌
天までとどけ』シリーズ
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布勢 博一(ふせ ひろいち、1931年10月18日 - 2018年8月13日[1])は、日本脚本家。布施 博一とも表記される。博一を「ひろかず」と読む場合があるが、「ひろいち」が正式なペンネームである[2]
人物・来歴

満州奉天市(現・瀋陽市)出身。幼少時代を奉天で過ごす。

明治大学文学部演劇科中退。

日本脚本家連盟ライターズスクール研修科常任講師を務めていた。

東京都目黒区に在住した。

熱中時代』『たけしくん、ハイ!』『純ちゃんの応援歌』『天までとどけ』などを世に送り出した。

2000年に糖尿病のために失明したが、創作活動は続けていた[3]

純文学(エッセイ)の同人誌である、随筆春秋の指導者を黎明期から務めていた。また、その随筆春秋が毎年主催する随筆春秋賞の審査員も、長年にわたって務めた。[4]

2018年8月13日午後3時54分、慢性腎不全のため死去[1][3]。86歳没。
主な作品

特に記述のないもの以外、すべて脚本担当
テレビドラマ

ダイヤル110番(1957年 - 1964年、日本テレビ系列)

三百六十五夜(1961年、日本テレビ系列)

或る女(1962年、日本テレビ系列)

おにぎり(1966年 - 1967年、日本テレビ系列)

無用ノ介(1969年、日本テレビ系列)

花は花よめ (1971年 - 1975年、NTV

パパは独身(1976年 - 1977年、TBS系列)

菜の花の女(1977年、関西テレビ制作・フジテレビ系列)

西遊記(1978年 - 1979年、日本テレビ系列)

熱中時代(1978年 - 1979年、日本テレビ系列)

熱中時代 刑事編(1979年、日本テレビ系列)

熱中時代 第2シリーズ(1980年 - 1981年、日本テレビ系列)

ゆるしません!(1980年 - 1981年、関西テレビ制作・フジテレビ系列)

サザエさん実写版スペシャルドラマ(1981年、フジテレビ系列、脚色)

気になる天使たち(1981年、フジテレビ系列)

キッド(1981年 - 1982年、日本テレビ系列)

いつもお陽さま家族(1982年 - 1983年、TBS系列)

若草学園物語(1983年、日本テレビ系列)

がんばれジャガーズ(1983年、フジテレビ系列、演出)

どっきり天馬先生(1983年、フジテレビ系列)

事件記者チャボ!(1983年 - 1984年、日本テレビ系列)

母ちゃんの牧場(1984年、東海テレビ制作・フジテレビ系列)

なぜか、ドラキュラ(1984年 - 1985年、日本テレビ系列)

男の家庭科(1985年、フジテレビ系列)

嫁姑・陣取り合戦(1985年、東海テレビ制作・フジテレビ系列)

たけしくん、ハイ!(1985年、NHK銀河テレビ小説

新・熱中時代宣言(1986年、日本テレビ系列)

続・たけしくん、ハイ!(1986年、NHK総合テレビ銀河テレビ小説)


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