市谷薬王寺町
町丁
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}市谷薬王寺町市谷薬王寺町の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度41分48.02秒 東経139度43分31.35秒 / 北緯35.6966722度 東経139.7253750度 / 35.6966722; 139.7253750
国 日本
都道府県 東京都
特別区 新宿区
人口(2022年(令和4年)6月1日現在)[1]
? 合計3,316人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号162-0063[2]
市外局番03[3]
ナンバープレート練馬
市谷薬王寺町(いちがややくおうじまち)[注 1]は、東京都新宿区の町名[4]。「丁目」の設定のない単独町名である。住居表示は未実施であるが、2023年(令和5年)11月6日に実施予定[5]。郵便番号は162-0063[2]。 新宿区の中東部に位置する。町域北部は、市谷柳町に接する。東部は市谷加賀町に接する。南部は市谷仲之町・市谷本村町にそれぞれ接する。西部は河田町に接する。北西部は原町に接する(地名はいずれも新宿区)。ほぼ中央を外苑東通りが南北に縦貫する。この外苑東通り沿いには高層建造物や商店などが見られるが、道路から離れると住宅地となっている。ほかに寺院も見られる。 市谷村の一部で、当初は旗本萩原氏の屋敷地より元禄14年(1701年)に返納され薬王寺に給付、門前町を形成した。正徳3年(1713年)に町奉行の支配となって市谷薬王寺前町と称した(現在の62?69番地周辺)。薬王寺が市谷薬王寺前町に加えられたのは明治5年で、このとき併せて蓮秀寺・長厳寺・浄栄寺・林松寺・妙典寺・長昌寺・市谷南寺町(現在の4番地周辺)と旗本久貝氏ほかの旗本屋敷・御先手組大繩地・東円寺墓所が加えられた。明治44年(1911年)に『前』の字が取られ、現行名の市谷薬王寺町となった。かつて陸軍大将児玉源太郎の自宅があった(35番地)。 地名は外苑東通りに面した30番地33番地にあった薬王寺という寺院に由来しているが、明治維新の時に廃寺となり、法灯は文京区大塚の護国寺に移された。現在当地に薬王寺という寺院はない。 2022年(令和4年)6月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
地理
歴史
地名の由来
世帯数と人口
Size:25 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef