市谷薬王寺町
町丁
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度41分48秒 東経139度43分31秒 / 北緯35.696539度 東経139.725353度 / 35.696539; 139.725353
国 日本
都道府県 東京
特別区 新宿区
地域牛込地域
人口情報(2023年(令和5年)1月1日現在[1])
人口3,279 人
世帯数2,107 世帯
面積([2])
0.091434673 km²
人口密度35861.67 人/km²
郵便番号162-0063[3]
市外局番03(東京MA)[4]
ナンバープレート練馬
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市谷薬王寺町(いちがややくおうじまち)[注 1]は、東京都新宿区の町名[5]。「丁目」の設定のない単独町名である。住居表示は2023年(令和5年)11月6日に実施された[6]。 新宿区の中東部に位置する。町域北部は、市谷柳町に接する。東部は市谷加賀町に接する。南部は市谷仲之町・市谷本村町にそれぞれ接する。西部は河田町に接する。北西部は原町に接する(地名はいずれも新宿区)。ほぼ中央を外苑東通りが南北に縦貫する。この外苑東通り沿いには高層建造物や商店などが見られるが、道路から離れると住宅地となっている。ほかに寺院も見られる。 市谷村の一部で、当初は旗本萩原氏の屋敷地より元禄14年(1701年)に返納され薬王寺に給付、門前町を形成した。正徳3年(1713年)に町奉行の支配となって市谷薬王寺前町と称した(現在の62?69番地周辺)。薬王寺が市谷薬王寺前町に加えられたのは明治5年で、このとき併せて蓮秀寺・長厳寺・浄栄寺・林松寺・妙典寺・長昌寺・市谷南寺町(現在の4番地周辺)と旗本久貝氏ほかの旗本屋敷・御先手組大繩地・東円寺墓所が加えられた。明治44年(1911年)に『前』の字が取られ、現行名の市谷薬王寺町となった。かつて陸軍大将児玉源太郎の自宅があった(35番地)。 地名は外苑東通りに面した30番地33番地にあった薬王寺という寺院に由来しているが、明治維新の時に廃寺となり、法灯は文京区大塚の護国寺に移された。現在当地に薬王寺という寺院はない。 2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。 国勢調査による人口の推移。 人口推移年人口 国勢調査による世帯数の推移。 世帯数推移年世帯数 区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2018年8月時点)[13]。 町域内には鉄道駅はないが、南部には都営新宿線の曙橋駅が、北部には都営大江戸線の牛込柳町駅がそれぞれ利用可能な範囲にある。 2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[14]。 経済センサスによる事業所数の推移。 事業者数推移年事業者数 経済センサスによる従業員数の推移。
地理
歴史
地名の由来
世帯数と人口
世帯数 : 2,107世帯
人口 : 3,279人
人口の変遷
1995年(平成7年)[7]2,297
2000年(平成12年)[8]2,485
2005年(平成17年)[9]2,855
2010年(平成22年)[10]2,944
2015年(平成27年)[11]3,291
2020年(令和2年)[12]3,445
世帯数の変遷
1995年(平成7年)[7]1,096
2000年(平成12年)[8]1,261
2005年(平成17年)[9]1,690
2010年(平成22年)[10]1,830
2015年(平成27年)[11]2,105
2020年(令和2年)[12]2,188
学区
区域 : 全域
小学校 : 新宿区立牛込仲之小学校
中学校 : 新宿区立牛込第一中学校
交通
事業所
事業所数 : 83事業所
従業員数 : 368人
事業者数の変遷
2016年(平成28年)[15]83
2021年(令和3年)[14]83
従業員数の変遷
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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