市町村章
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市町村章(しちょうそんしょう)は、自治体市町村)を象徴する紋章のこと。
概説

一般に市町村旗よりもデザインが複雑なため、その市町村の風土、歴史、文化などが象徴的に表現され、発展と町づくりの向上の為に作成されており、群馬県前橋市章・愛媛県大洲市章のように単純な図案があれば北海道札幌市のように複雑な図案もある。その市町村を理解する上で市町村旗よりも多くの情報を読み取ることが出来る。市町村名やその市町村の特徴などを抽象化したデザインがある。市町村旗にそのまま用いられる市町村章も多いが、兵庫県三木市佐賀県多久市などの市章・市旗のデザインが異なる自治体がある。昭和時代までは単純かつ簡易的な図形であったが、平成の大合併時に制定された市町村章はヨーロッパの紋章と同じく複雑かつ繊細かつ多彩なカラーの彩色豊富なものやや丸みを帯びたデザインが多い[1][2][3][4][5][6][7]
作成の動機

学校・自治体・会社団体一族などが血筋を分かち合うことかつ共同体の人格をわかりやすく表現するため「シンボルマーク」が設けられ、作成の動機は郷土の歴史と伝統を継承し、その共同体に対して興味を持ち、親愛を感じさせることを目的としている。そして、一つに纏めることで誇りあるものを導くために「一つの誇り」として示していることから制定される[8]。例えば、アメリカ人月面着陸時に星条旗を打ち立てることが挙げられる[9][7]

月面の星条旗

発生地域

封建制度の下で主従関係が確立された地域に分布しており、主に西欧日本である。そのほかの地域にもある。
歴史

紋章の歴史は古く、大化の改新前から存在し、人間が絵や字を書く能力を取得した時から使用されている。しかし、今日の紋章の起こりは11世紀後半の平安時代中期であり、公家牛車衣服にその好みの模様を用いたことからである[9]
古代
平安時代以前

古代から人間は絵や字を書く能力を持っており、印を描いていた。強いて言えば、青森県弘前市の市章は古代からの人間の能力を基に作成されていたと考えられる[10]583年頃から、中国大陸に仏教文化が上陸すると同時に仏具を飾る当時としては見たことがない模様が貴族の目に留まり、それが日本でおける紋章の起源となる。

紋章の起源となった仏壇

弘前市章

平安時代以降

平安時代になると外国からの文化が入ってきて、主に貴族が自分の好みに応じた紋章を宮中参拝の時などに使用する牛車などに描いて、それを自分が着ている衣装に織り込んでいた。それが、家族とその同族の印となり、それから集団のシンボルとして家紋として認可されていった[11][9]鎌倉時代戦闘時に一族を団結することを目的とし、敵味方を区別する為に用いられた[8]

今日の紋章の起源となった牛車

鎌倉時代時の戦闘の様子
志賀島の戦いにて

近世

江戸時代までは大名旗本などの武家と町民は紋章を持っていた。その紋章は意図がはっきりとしており、その時代に的確に捉えられていた[12][1]。そのときには庶民にも紋章が浸透していき、歌舞伎が庶民の娯楽として親しまれていき、役者の衣装の模様・図柄の好みが流行し、紋章ばかりの紋番付けが競われたほどである[8]安土桃山時代には日本各地に城が立地し、その城ごとに紋章が制定された[13]

江戸時代時の歌舞伎の様子

近代

明治時代には菊紋が1870年から一般人の使用が禁止され、それから富国強兵政策になった時から紋章は神聖なものへと変貌した[14]1889年4月1日以降に市制町村制が施行されると近代以前に持っていた紋章の意図が継承されることはなくなり、市制・町村制を施行した頭文字を参考にした安易なものが出来てきた[12][1]大正時代以降は冠婚葬祭程度しか紋章が一般の前に留まる事はなかった[14]
現代

第二次世界大戦後の高度経済成長期東京オリンピック頃には人々の暮らしが豊かになり、産物から人へシフトしたことで特定の象徴を表すように、紋章の他にシンボルマーク (Cl) が導入され、生産者が消費者に向かって働きかけることを目的として作成され、大阪府神奈川県ではベーシックデザインの解説書としてマニュアルブックが刊行されている[15]平成の大合併以降の紋章は近代から市制・町村制を施行した頭文字を参考にしたものがあるが、国際的な観点からか多彩な紋章であり、色が指定されている自治体が存在する[1][7]

東京オリンピックの様子

東京オリンピック公式シンボル

紋章付きのマンホール
紋章は徳島県那賀郡羽ノ浦町の町章

市町村章のデザインデザインの寸法
紋章は群馬県前橋市の市章
目的縄文式土器
この土器が市町村の紋章を作成する目的のきっかけとなっている

古代から人物に関連する血統・身分・産業・歴史・文化、自然に関連する地理などを象徴的に表現するために分かりやすく文字で説明する代わりとして用いられている。メリットとしては特定の市町村を理解するうえで紋章で多くの情報を読み取ることが出来、感情の中で美的な欲求を満たすことが出来る。縄文時代の日常生活に使われていた縄文土器は美多岐な欲求を満たすことの中に入っており、現代の紋章作りのきっかけとなっている[1][2][3][5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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