いちむら としゆき
市村 俊幸
1955年
本名石川 清之助
生年月日 (1920-12-20) 1920年12月20日
没年月日 (1983-08-09) 1983年8月9日(62歳没)
出生地 日本・東京都
職業俳優
テンプレートを表示
市村 俊幸(いちむら としゆき、本名:石川 清之助、1920年12月20日 - 1983年8月9日[1])は、昭和期の俳優。旧東京市(東京都)出身。「ブーちゃん」の愛称で親しまれた。クレイジーキャッツのリーダーであるハナ肇の名付け親としても知られる。
来歴・人物1956年
東京府立第五中学校卒。日本医師会勤務を経て1938年、日劇ダンシングチームに入団。戦後の1946年、南里文雄らの「南里文雄とホットペッパーズ
」でピアニストを務める。1951年9月21日に上映された映画『花嫁蚤と戯むる』(製作:ラジオ映画、配給:東映)で俳優デビュー、翌年の黒澤明監督作品『生きる』で脚光を浴びる。映画ではフランキー堺主演の作品に多数出演した。
ロート製薬の胃腸薬「シロン」の初代広告キャラクターとして、広告に多数登場した。またロート製薬一社提供のラジオ番組『ロート東西お笑い他流試合』(ニッポン放送)やテレビ番組『私はナンバーワン』(毎日放送)の司会に起用され、続く『アップダウンクイズ』(同)でも初代司会を1963年10月 - 1964年3月まで担当した(後任は、同時期の出題者だった小池清毎日放送アナウンサー)。
「やれんなー」というギャグは有名。趣味はピアノ。1982年の「My Life My Piano」他、自ら演奏したピアノ演奏集のレコードも出した。
また、かつてNHKで放送されていた子供向け人形劇『ひょっこりひょうたん島』では、シャッキンバードというキャラの声優を務め、わずかながらではあるが声優としても活躍していた。
1983年8月9日、腎不全のため死去。62歳没。
主な出演
映画
花嫁蚤と戯むる(1951年)
生きる(1952年)- ピアニスト
エノケンの天国と地獄(1954年)
猿飛佐助(1955年)
緑はるかに(1955年)- 大入道
続警察日記(1955年)
ジャズ・オン・パレード 1956年 裏町のお転婆娘(1956年)?
青春をわれらに(1956年)
狙われた男(1956年)- ヤマさん
デンスケの宣伝狂(1956年)
ドラムと恋と夢(1956年、日活)
牛乳屋フランキー(1956年)- 石山金太郎
フランキー・ブーチャンのあゝ軍艦旗(1957年)
幕末太陽傳(1957年)- 杢兵衛大盡
フランキー・ブーチャンのあゝ軍艦女護が島奮戦記(1957年)
嵐を呼ぶ男(1957年)- 持永
坊ちゃん天国(1958年)
フランキー・ブーチャンの殴り込み落下傘部隊(1958年)
裸の大将(1958年)- 山田巡査
嵐の中を突っ走れ(1958年)- 古城雷助
愛妻記(1959年)
まり子自叙伝 花咲く星座(1959年)
喜劇 駅前漫画(1966年)- 編集長
なつかしい風来坊(1966年)- 吉川課長補佐
北国の旅情(1967年)- 署長
ラーメン大使(1967年)
喜劇 競馬必勝法 大穴勝負(1968年)
昆虫大戦争(1968年)- セボレー工藤
テレビドラマ
新版 歌う弥次喜多(1953年、NHK)
ペロー博士のおくりもの(1953年、NHK)
春を呼ぶ風(1954年、NHK)
聖夜の街角(1954年、NHK)
ブーチャンの星をつかんだ男(1956年、日本テレビ)
ブーちゃん先生(1957年、KRテレビ)
カナリヤ姉妹(1957年、NHK)
パパのお年玉(1959年、日本テレビ)
パパ起きてちょうだい(1959年 - 1962年、日本テレビ)
青空通り(1959年 - 1960年、フジテレビ)
夫婦百景(日本テレビ)
『頓馬夫婦』(1959年)
『けたはずれ夫婦』(1960年)
『三ツ面夫婦』(1961年)
『珍品夫婦』(1964年)
『空いた部屋』(1966年)
東芝土曜劇場(フジテレビ)
『二人の胸にバラを』(1959年)
『娑婆に脱帽』(1962年)
『復讐計画完了』(1962年)
新・三等重役(1959年 - 1960年、NET)
手をとりて歌わん(1960年、NHK)
女が階段を上る時(1961年、フジテレビ)