いちかわ おさむ
市川 治
プロフィール
本名市川 治[1][2]
性別男性
出身地 日本・埼玉県熊谷市[3][4][2]
死没地 日本・東京都町田市鶴川
生年月日 (1936-06-21) 1936年6月21日
没年月日 (2009-01-02) 2009年1月2日(72歳没)
血液型AB型[5][6]
職業俳優、声優
事務所フリー
配偶者あり[5]
公称サイズ(時期不明)[7]
身長 / 体重170 cm / 60 kg
声優活動
活動期間1950年代 - 2008年
ジャンルアニメ、ゲーム、吹き替え、ナレーション
俳優活動
活動期間1950年代 - 2008年[要出典]
ジャンルテレビドラマ、舞台
デビュー作英一郎(『おふくろ』)[8]
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市川 治(いちかわ おさむ、1936年6月21日[5][9][10][8][11][1] - 2009年1月2日[3][6][10])は、日本の俳優、声優。埼玉県[10]熊谷市出身[3][4][2]。フリー[1]。新日本企画[注釈 1]代表を務めた[9]。 小学生の時、終戦の影響で教科書に墨を塗られるなど学校では十分な教育を受けることができる状態ではなかったといい、家に大量にある本を片っ端から読む生活を送る[2]。小学4年生の時、自習時間に皆の前で童話を話して聞かせていたところ評判となり、学芸会で主役を務めた[2]。小学5年生の時(1947年)にはNHKラジオの生放送で唱歌を披露したことがあったほか、小学6年生の時には劇のアナウンサーをしたという[2]。 中学時代は放送演劇部へ入部[2]。埼玉県立熊谷高等学校[10][8]在学中は演劇部に所属していた[2]。 高校卒業後、父の会社が倒産した影響で大学進学を断念し貿易商社に就職するも、小学生時代に学芸会に出てから好きだった芝居への思いが断ち切れず、俳優養成所に通うなど演劇の勉強を始める[2][4][12]。その後退職し、サンドイッチマンやクラブのマネージャーなど20種以上の職を経て、1955年、劇団森の会入団[11]。1956年、劇団泉座に移籍[8]。1957年、テアトル・エコーに移籍[8][11][注釈 2]。同劇団の方針でテレビ映画などの吹き替えをこなすうち、声優としての仕事が増えていったという[4]。 アニメでは、1965年に『スーパージェッター』のジェッター役で主演するなど草創期から活躍。第1次声優ブームの牽引役を務めた[10]。その後、長浜忠夫の作品に多く出演し、敵方の「美形キャラクター」を演じた[10]。アニメの悪役はダミ声でいかにも悪役という姿のキャラクターが多かった当時に美形の悪役像を確立し、後のアニメ界にも大きな影響を与えた[4]。 所属は、TBS放送劇団[5]、プレイヤーズ・センター[5]、劇団森の会[11]、劇団泉座[5][11][8]、テアトル・エコー[11][8]、NPSテアトル、アーツビジョンを経て、最終はフリーランスで活動[10]。 1980年代後半、喉を痛めたことで声優の仕事を休業していた時期がある。この間に英語教材の制作などに携わる総合プロデューサーとしての活動も始め、上越新幹線の車内で流れた“ご当地チャイム”を発案[4]。取得した特許の管理のため新日本企画を設立した。また、声優業では後進の育成にもあたるようになっていた。 2009年1月2日、入浴中に体調を悪くし[4]、心不全で死去[10]。72歳没。遺作は同年3月稼働の業務用ゲーム『機動戦士ガンダム ガンダムVS.ガンダム NEXT』のノリス・パッカード役であった。 若者のみならず、中年男性や老境に差し掛かった人物なども数多く演じ、役柄の幅は広い。自身に一番近い役は『ろぼっ子ビートン』のノーベルさんだという[14]。 テアトル・エコーが担当した『仮面ライダー』や『変身忍者 嵐』では、池水通洋との共演が知られている。『ウルトラマンA』でのゾフィーのようなヒーロー役や『仮面ライダーストロンガー』でマシーン大元帥などのボスキャラクターも多く演じている[9]。 好きな言葉は「失敗を恐れるな、冒険をせよ」[5]。 弟がいた[2]。既婚者で、息子が2人いた[5]。 40代当時でも甲高い美声を発する独特の演技に周囲は驚嘆していたといい、2006年には『超電磁マシーン ボルテスV』DVD発売告知のTVCMにおいて、当時70歳ながらハイネル役を再演した。 悪役では、悪そうな声や唸り声では同世代の沢りつおや柴田秀勝らに敵わないため、セリフの鋭さや怖さを強調した知的な悪役とすることを意識していた[9]。また、セリフを重視していたためドラ声で喋ってイントネーションがおかしくなることを嫌っており、現場でもそれを汲んでセリフの多い役が増えていったという[9]。 ガルーダやハイネルなど美形キャラクターについて、彼らの最期が描かれるエピソードのアフレコ日には、事前に風呂に入って身体を清めるなど気持ちを整えて収録に臨んだと語っている[2]。 外国人役は日本語の単語を英語に置き換えるのがコツであるとし、自身の得意なパターンであったと述べている[9]。 『仮面ライダー』では主演の藤岡弘、が失踪した際に、第66話・第67話で仮面ライダー1号の代行アフレコを務めた[9]。現場ではぎりぎりまで藤岡が現れるのを待っており、不安な中で演じたという[9]。 『超電磁ロボ コン・バトラーV』や『超電磁マシーン ボルテスV』では、新人の頃の三ツ矢雄二や白石ゆきながに対して演技指導をしていた[15]。また『闘将ダイモス』のアフレコ時は、上手く声を合わせられなかった神谷明に対して「画面が切り替わると光の加減が代わるので、そのタイミングにあわせて台本を読むように」とアドバイスしている。 自身が演じた思い出深いキャラクターには『超電磁マシーン ボルテスV』のハイネル役を挙げている。最終回でのハイネルの「カザリーーーン!」という叫びは、スタジオ後部のガラス窓を計算したうえで利用し、エフェクトなどの編集処理を一切使わずに表現している[16]。 担当する役柄の声を色にたとえていると語っており、例えば『コンバトラーV』のガルーダの声は暖かみのあるオレンジ色にたとえている。 『仮面ライダー』のロケ地にもなった東京都町田市の鶴川団地に長年住み、自治会や草野球の監督、野菜の直売会開催など地域活動にも積極的だった。後に引っ越した住居も団地のすぐそばで団地の人々との交流も続き、最後まで町田に住み続けた[4]。 「産地直送」という言葉は、市川の造語である。 市川の死後、持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。 後任役名作品後任の初出演 太字はメインキャラクター。
生涯
特色・人物
エピソード
後任
内田夕夜ルイス・ディクソン博士『新・猿の惑星』WOWOW版追加収録部分
間宮康弘ノリス・パッカード『機動戦士ガンダム 第08MS小隊』『ガンダムジオラマフロント』
島田敏大将軍ガルーダ『超電磁ロボ コン・バトラーV』『CRぱちんこ超電磁ロボ コン・バトラーV』
出演
テレビアニメ
1963年
鉄腕アトム (アニメ第1作)(パール星人隊長、デッド・クロス殿下、ブロンX、ダン、ロボット三銃士、山本えいいち、ロビオ、タップ、トビオ 他)
1965年
ジャングル大帝(チーター)
スーパージェッター(ジェッター[17][1])
1966年
ハリスの旋風(サーハラ東郷)
1968年
あかねちゃん(徳川くん[18])
ゲゲゲの鬼太郎(第1作)[注釈 3]
サイボーグ009(1968年版)(@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}未来人ノア、ゴーチェ[要出典])
サスケ(柳生十兵衛)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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