市川 徹(いちかわ とおる、1948年7月28日 - 2023年8月30日)は、日本の映画監督である。 1972年、日本大学卒業後、テレビ神奈川(tvk)に入社する。tvkでは、音楽・バラエティ番組などの制作を担当する。87年に独立し、音楽・映像の製作会社を設立する。1993年、第一作となる『ファンキー・モンキー・ティーチャー3 康平の微笑』で映画監督デビューする。その後、十余年の間、監督として数多くの青春、コメディ映画やヤクザ映画のVシネマ作品を手がける[1]。2006年から2007年の富山県や神奈川県を舞台にした伝記映画『九転十起』三部作の監督を機に、日本各地のご当地映画を撮り続けている。監督作品は、第一作からこれまで90本に及ぶ[2]。 2023年8月30日、肝臓がんのため横浜市の病院で死去した[3][4]。75歳没。 2006年より地域密着映画に取り組み、「ご当地映画の巨匠」と評されることもある[5]。単に、ご当地で映画の撮影をするだけではなく、地元の一般の人や商店会の人、時には、知事や市長など自治体の首長の、出演もあり、地域ぐるみで参加する映画作りをおこなっている。町おこし、地域活性化へと広く発展するような映画製作を目指している[6]。地域活動の一環として、2018年、横浜市西区にコミュニティ・スペースを開設した[7][8][9]。
来歴
取り組み
作品
映画
酔いどれ侯爵(1987年10月25日、中継/編集)
リューチャーフィー熱風伝説(1989年12月25日、監督)
ファンキー・モンキー・ティーチャー3 康平の微笑(1993年4月21日、監督)[10]
パッパカパー(1994年1月21日、監督)[11]
パッパカパー2(1994年4月21日、監督)[12]
新ファンキー・モンキー・ティチャー どつかれたるねん(1994年5月20日、監督)[13]
パッパカパー4 梅は咲いたか,桜はまだか・・・ 山梨 塩山編(1994年10月21日、監督)[14]
1・2の三四郎(1995年7月15日、監督)[15]
花の女子アナ危機一髪(1999年8月27日、監督)
花の女子アナ☆ヤルのは奴らだ(1999年8月27日、監督)
花の女子アナ☆KINZANより愛を込めて(1999年12月22日、監督)
がらん 花嫁は冷たい瞳(2000年2月25日、監督)[16]
きつねに 風ぐるま2(2000年9月29日、監督)[17]
実録・土佐遊興外伝 鯨道 青春篇(2000年11月5日、監督)[18]
実録・土佐遊興外伝 鯨道 抗争完結編(2000年12月25日、監督)[19]
音楽青春ストーリー 人生DO真中(2001年3月15日、監督)[20]
実録・日本やくざ烈伝 義戦 昇竜編(2001年10月21日、監督)[21]
実録・日本やくざ烈伝 義戦 昇華編(2001年12月21日、監督/撮影)[22]
実録・広島やくざ抗争史 鯨道10 総完結篇(2002年、監督/撮影)[23]
実録・沖縄やくざ戦争 いくさ世30年・抗争勃発編(2002年、脚本)[24]
実録・沖縄やくざ戦争2 いくさ世30年・抗争激化編(2002年、出演)[25]
実録ヤクザの戦場 侠の終章(2002年、監督)[26]
実録・九州やくざ抗争史 LB熊本刑務所 侠牙(2002年3月25日、監督)[27]
実録・九州やくざ抗争史 LB熊本刑務所vol.2 義絶盃(2002年4月25日、監督/撮影)[28]
浪商のヤマモトじゃ! 大阪総番長編(2003年、プロデューサー)[29]
浪商のヤマモトじゃ! 喧嘩野球編(2003年、プロデューサー)[30]
実録・北九州ヤクザ戦争 侠嵐(2003年、監督)[31]
実録・北九州ヤクザ戦争 侠嵐 完結編(2003年、監督)[32]
実録・なにわ山本組 捨身で生きたる! 前編(2003年、監督)[33]
実録・なにわ女侠伝(2003年、脚本)[34]
実録・なにわ山本組 捨身で生きたる! 完結編(2004年1月25日、監督)[35]
実録・広島四代目 第一次抗争編(2004年3月25日、監督)[36]
実録・広島四代目 第二次抗争編(2004年4月25日、監督)[37]
実録・広島四代目 第三次抗争編(2004年5月25日、監督)[38]
実録・籠寅三代目 合田幸一 任侠修業篇(2004年8月25日、監督)[39]
実録・籠寅三代目 合田幸一 名門継承篇(2004年10月25日、監督)[40]