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市川中学校・高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度43分57.2秒 東経139度56分47.8秒 / 北緯35.732556度 東経139.946611度 / 35.732556; 139.946611座標: 北緯35度43分57.2秒 東経139度56分47.8秒 / 北緯35.732556度 東経139.946611度 / 35.732556; 139.946611
過去の名称市川中学校(旧制)
国公私立の別私立学校
設置者学校法人市川学園
理念独自無双の人間観
よく見れば精神
第三教育
設立年月日1937年
創立記念日4月15日
創立者古賀米吉
共学・別学男女共学
中高一貫教育併設型(外部混合有)
課程全日制課程
単位制・学年制学年制
設置学科普通科
学期3学期制
学校コードC112310000048 (中学校)
D112310000117 (高等学校)
高校コード12506H
所在地〒272-0816
千葉県市川市本北方二丁目38番1号
外部リンク ⇒公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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市川中学校・高等学校(いちかわちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、千葉県市川市本北方二丁目にある私立中学校・高等学校。
高等学校においては、中学校から内部進学した生徒と高等学校から外部進学した生徒との間で、第3学年から混合クラスを編成する併設混合型中高一貫校[1]。
帰国生入試が行われており、高3を除く各学年に一般生徒と帰国生による混合クラスがある。また、中3以上では希望者のうちの成績上位者によって編成される選抜クラスがある。
略称は「市川」、「市学」、「学園」、「IG」など。男子と女子の比率は5:3である。 府立四中(現:東京都立戸山高等学校)の英語教師・主任として多くの生徒を一高などの旧制高校へ輩出した古賀米吉が、1937年(昭和12年)、市川市八幡字新田(現:東菅野四丁目)に市川中学校(旧制)を開校。米吉は2年間ロンドン大学に留学しており、イギリスで見た生徒の自主性を尊重するパブリックスクールの紳士教育(新教育)を理想としている。 創立以来、「独自無双の人間観」「よく見れば精神」「第三教育」の教育理念を掲げ、「第三教育」において自分で自身を教育することを教育方針としている。これは、自由主義的な校風を念頭に置いたものである。 初代校長には、七博士建白事件で知られる中村進午を招聘(-1938年)。開校時の新入生はわずか32名であった。米吉は第2代校長と第4代校長を逝去する1983年(昭和58年)まで永きにわたり務め、大きく発展させた。私学の振興・発展に対する功労が認められ、藍綬褒章(1962年)、勲四等瑞宝章(1965年)、従五位勲四等旭日小綬章(1983年)を受賞している。 千葉県私立の進学校の一角をなす。(東邦大学付属東邦、1984年創立の渋谷教育学園幕張と併せて)千葉県私立御三家と称されるようになる。 開校以来70年弱にわたり男子校であったが、2003年(平成15年)、本北方への移転とともに男女共学を開始、中学の共学化を経て高校もその第一期生が進学する2006年(平成18年)から順に共学化がなされた。 2017年度から高校入試試験科目が5教科となった。 なお、学校法人市川学園 市川学園の教育方針は「個性の尊重」と「自主自立」である。 これを実現するために という三本の矢を立てている。 「第三教育[3]」とは、自分で自身を教育するということである。また、こういった教育方針は自由主義的な校風を念頭に置いたものである。[要出典] 年度始めには全員にシラバス(授業計画)が配布され、生徒が学習の流れをつかみやすいように工夫されている。また、2016年度より、一部の学年では試験的にタブレット端末の導入を行っており、生徒の勉学の学習の補助をサポートしている。 現在の理事長である古賀正一は1936年、東京生まれ。市川中・高を経て東京大学工学部卒業。
概要
沿革
1937年(昭和12年) - 財団法人市川学園設立(1953年(昭和26年)に「学校法人市川学園」となる)。市川中学校(旧制)開校。
1941年-1946年 - 臼井町の明倫中学廃校に伴う、同校生徒の救済のための八幡中学校を併設。
1948年(昭和23年) - 学制改革により、市川高等学校に移行され、同時に中学校(新制中学)が併設される。
2003年(平成15年) - 市川市内の本北方に校舎を新築移転。それに伴い中学が共学となる。
2004年(平成16年) - 中学入試を幕張メッセで実施する(国内初)。
2006年(平成18年) - 高校が共学になる。
2009年(平成21年) - 文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクールに指定(現時点まで継続)[2]。
2014年(平成26年) - 音楽と美術の授業時間数が不足し、学校教育法施行規則の標準時間を満たさず県から是正指導。
2017年(平成29年) - 高校入試科目を3教科(国・数・英)から5教科(国数英理社)とする。
教育方針・校風
「独自無双の人間観」
「よく見れば精神」
「第三教育」
教育課程・カリキュラム
創設者 古賀米吉「古賀米吉」も参照