巽 真悟茨城アストロプラネッツ 選手兼任監督 #66
ソフトバンク時代
(2013年9月15日 福岡ヤフオク!ドーム)
基本情報
国籍 日本
出身地和歌山県東牟婁郡古座川町
生年月日 (1987-01-10) 1987年1月10日(37歳)
身長
体重182 cm
77 kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション投手
プロ入り2008年 ドラフト1位
初出場NPB / 2009年8月6日
最終出場NPB / 2015年9月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
和歌山県立新宮高等学校
近畿大学
福岡ソフトバンクホークス (2009 - 2016)
Nbuy
巽 真悟(たつみ しんご、1987年1月10日 - )は、和歌山県東牟婁郡古座川町出身のプロ野球選手(投手)、野球指導者。 中学時代は外野手兼投手だったが、新宮高校2年時に本格的に投手に転向。 近畿大学への進学後は、関西学生野球で、2年時の春季リーグ戦から先発陣に入った。3年生だった2007年の春季リーグ戦では、4月8日の対京都大学戦で、初回先頭打者からの9者連続を皮切りに23奪三振をマーク。1試合最多奪三振のリーグ新記録を樹立すると、同年14日の対同志社大学戦ではノーヒットノーランを達成した。4年春の大学選手権は初戦で延長10回完投勝利[1]、準決勝では優勝することになる東洋大を相手に10回を投げるがチームは敗戦[1]。在学中には、リーグ戦で通算37試合に登板。19勝4敗、防御率2.22、178奪三振、4年春は最優秀選手、最優秀投手、ベストナイン獲得[1]という好成績を残した。 2008年のNPBドラフト会議1巡目で、福岡ソフトバンクホークスから指名。最初に指名した大田泰示の独占交渉権を読売ジャイアンツとの指名重複による抽選で逃した末の再指名だったが、契約金1億円、年俸1,500万円(金額は推定)という条件で入団した。入団当初の背番号は20で、近畿大学からソフトバンクへ入団した投手は、竹岡和宏、甲藤啓介、大隣憲司に続いて4人目であった。 2009年には、公式戦の開幕を二軍で迎えたが、ウエスタン・リーグ公式戦には20試合に登板。防御率は4.87ながら、通算投球イニング(105回1/3)と奪三振(80)はリーグトップ、勝利数(6)はリーグ2位だった。フレッシュオールスターゲームにも同リーグの監督推薦選手として出場すると、8月6日の対千葉ロッテマリーンズ戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)9回表に、救援投手として一軍公式戦にデビュー。1イニングを投げたが、ソロ本塁打を浴びて1点を失っただけでシーズンを終えた。 2010年には、一軍公式戦の開幕から先発陣の一角を担ったが、シーズン全体ではわずか3試合の登板で0勝2敗。防御率が12.15にまで達したほか、通算投球イニング6回2/3で10四球を与えるほどの制球難で、ウエスタン・リーグ公式戦でも1勝を挙げただけにとどまった。 2011年には、3月に発足した三軍でシーズンをスタート。三軍最初の対外試合であった福岡大学との交流戦で先発を任されると、8回を投げて132球を費やしながらも、5安打無失点8奪三振という好投で三軍初の勝利投手になった。ウエスタン・リーグ公式戦では、21試合の登板で11勝(5敗)を挙げたことから、リーグ最多勝利のタイトルを獲得。一軍公式戦での登板機会はなかったが、一軍の日本シリーズ制覇によって出場したアジアシリーズでは、オーストラリア代表のパース・ヒート戦で2番手投手として勝利を挙げた。シリーズ終了後には、球団からウインターリーグへの参加を打診されたが、固辞したうえで肉体改造に着手した。 2012年には、「プロに入ってからほとんど経験がなかった」という救援登板をオープン戦でこなした末に、公式戦の開幕を一軍で迎えた。4月11日の対北海道日本ハムファイターズ戦では、先発投手のレニエル・ピントが6点を失った末に3回表の1死で降板したことを受けて、7回表の終了まで敗戦処理扱いで登板。
経歴
プロ入り前
ソフトバンク時代