巴金
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巴金
1938年撮影
プロフィール
出生:1904年11月25日
死去:2005年10月17日(2005-10-17)(100歳)
出身地: 中国四川省成都市
職業:作家
各種表記
繁体字:巴金
簡体字:巴金
?音:B? J?n
和名表記:ばきん
発音転記:バージン
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巴金(ばきん、.mw-parser-output .pinyin{font-family:system-ui,"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}.mw-parser-output .jyutping{font-family:"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}?音: B? J?n、バ・ジン、1904年11月25日[1] - 2005年10月17日)は、中華人民共和国小説家翻訳家エッセイスト。本名は李尭棠(り ようどう)[2]、字は?甘(ふつかん)。巴金はペンネームである。ペンネームの由来は、自殺した友人・巴恩波とクロポトキン(中国語:克魯泡特金)からとったもの[3]
人物

四川省成都市の代々官吏を務める名家の三男として生まれる[2]

1919年、五・四運動に参加し、パクーニンやクロポトキンらのアナーキズムの影響を受けた[1]。1923年4月、次兄と共に上海に出て中学に入学したが[2]、同年12月南京の東南大学附属中学校に転学する[2]。1925年同中学校を卒業後、北京大学入学を目指すが健康上の理由で実現しなかった[2]。1927年フランスに留学する[2]。1929年、フランスから帰国し、作家としての活動を始める[2]。1934年、来日のさいには、横浜高商の武田武雄宅に滞在し、武田一家との交流は小説やエッセイに残している。

代表作に、長編小説『寒い夜』『火』など[4]。特に長編小説『激流三部曲?家・春・秋』『愛情三部曲?霧・雨・電』は文学的評価が高く、巴金の中国文壇での地位を不動のものにした。

文化大革命で失脚するが[1]、1978年末から1986年にかけて「随想録」全150篇を自分の「遺言」として執筆し、その中で文化大革命を起こした中国の社会・思想状況や自らの思想的弱点を深く内省した。

1981年には「現代文学館」の設立を提唱し、それは1985年に国立の「中国現代文学館」として北京で開設された[要出典]。1986年には「“文革”博物館」の建設も提唱した[要出典]。
略年譜

1927年フランスで学ぶ。

1929年、帰国。

1931年、『家』を発表。

1957年、文学誌『収穫』を創刊。

1977年中国作家協会主席に就任。

1990年、日本国福岡市 福岡アジア文化賞創設特別賞を受賞。

2003年、中国国務院から『人民作家』の称号を受ける。

著書(邦訳)

『新生』飯村聯東
訳 現代支那文学全集 第6巻 東成社 1940

『滅亡 他一篇』山県初男訳 興亜書局 1940

『滅亡』飯塚朗訳 雲井書店 1951


『家 長篇小説』服部隆造訳 青年書房 1941

『家』飯塚朗鎌倉文庫 1948 のち岩波文庫


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