この記事には複数の問題があります。改善
やノートページでの議論にご協力ください。差別用語(さべつようご)とは、「他者の人格を個人的にも集団的にも傷つけ、蔑み、社会的に排除し、侮蔑・抹殺する暴力性のある言葉。使用したことにより、名誉毀損罪など、法的に損害賠償責任が発生する可能性が高い言葉[1]」であり、公の場で使うべきでない言葉の総称である。差別語(さべつご)とも[1]。 具体的には、特定の属性(国籍、人種、少数民族、被差別階級、性別、宗教、同性愛者、障害者、特定疾患の罹患者、職業など)のある人々に対する否定的差別を意図して使用される俗語や表現を指し、侮蔑するための蔑称を含む。 差別用語と公的に認定されていなくても、差別的に使用される表現は「差別用語」または「避けられるべき言葉」とみなされることがあり、言葉によっては議論の結果「差別用語」とされないこともある。ただし共通解はなく、人によって解釈や捉え方が異なる。また過度な侮蔑は差別的とされる[1]。差別用語を用いて侮蔑行為や差別的な行為を行って他者を傷付けた場合、訴訟問題に発展して発言者が損害賠償責任を負うケースがある。 差別用語への対応としては、以下のようなものがある。 この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2022年4月)
概要
差別用語への対応
一般に日常会話においては禁句、主要メディアにおいては放送禁止用語として扱われる。
差別用語の事実上使用禁止(使用自粛) - 「自主規制」と呼ばれている。
差別用語の言い換え - 主に商業メディアにおいて、人権団体による差別糾弾を表面的に回避する手段の一つとして行われており、アメリカ合衆国においてポリティカル・コレクトネスと呼ばれ発展してきた。日本においては差別用語の一部もしくは全部の言い換えに反対する人々が、この差別用語の言い換えを、言葉狩りや文化破壊
やむを得ず「差別用語(放送禁止用語)と同じ発音」の言葉を使用する場合、当該の差別用語を連想させないよう、別の言葉に言い換えられることもある[要出典]。
例 - 「米軍基地や軍事施設などの敷地外」は字義的に「基地外」となるが「気違い」(1975年以降)の連想を避けるよう「基地の.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}外(そと)」と言い換えられている[注釈 1]。
動植物の標準和名の成分として用いられている語の中にも、差別用語が含まれているとして改名の動きがある(ザトウクジラ、メクラウナギ、シナモクズガニなど)。
@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}差別用語に関する規制の違う時代に発表された文学・映像作品についても、再版や放映に際しては、現代的基準で差別用語を書き換える、発言部分の音声を消去するなどの対応が取られてきたが、近年では表現の自由やオリジナリティなどの観点から「差別を助長する意図はない」「作品のオリジナリティを尊重する」旨の注釈を加えた上で、オリジナルのまま出版、放送するケースが多い[要出典]。
「二度目の人生を異世界で」のように、映画化やアニメ化の際、原作者が差別的発言をしていたことが発覚し、主要陣が全員降板し、のちに制作中止となった例がある[2]。
歴史
戦前?戦後、中国人の中華思想での「倭人」「小日本」等は日本を蔑称する言い方で、戦争を始めると日本も「ちゃんころ」「支那」と呼び合っていた。
1962年(昭和37年)、日本民間放送連盟が『放送用語』「避けたいことば」を作成する[3]。
差別用語にまつわる事例
1969年(昭和44年)、左翼でマルクス主義経済学者の大内兵衛が岩波書店の雑誌『世界』1969年3月号で、「大学という特殊部落」という論文を発表。部落解放同盟から糾弾され、雑誌は回収され、大内は謝罪した[3]。
1970年代
1973年(昭和48年)、フジテレビの番組『3時のあなた』で玉置宏が、「芸能界は特殊部落」と発言し、番組内で謝罪訂正した。しかし、部落解放同盟から糾弾され、玉置は同年12月25日の同番組で再度謝罪した[3]。この事件をきっかけにマスコミでは『言い換え集』が作成される[3]。
「部落問題」を参照
1974年(昭和49年)、テレビドラマ『新・荒野の素浪人』第22話『くノ一情話』で、「きちがいに刃物」という表現が使われ、これが精神障害者への差別として抗議された[3]。翌1975年(昭和50年)以降は差別用語となった。
1976年(昭和51年)には、小学館刊の『ピノキオ』の中で「びっこ・めくら」という差別表現が使用されており、身体障害者への差別を助長すると名古屋の市民によって抗議された[3]。
1980年代
夏目漱石などの過去の文学作品における穢多という表現などについて、抗議がはじまる[3]。アメリカでは日本で出版されている『ちびくろサンボ』や黒人マネキンが、黒人差別であるとして絶版にいたる[3]。
1984年(昭和59年)、「トルコ風呂」という呼称についてトルコ人留学生から抗議され、社会問題となる[3]。その後新たな名称が公募され、「ソープランド」が選出された[4]。
1989年(昭和64年 / 平成元年)、浅田彰が『文学界』2月号で、昭和天皇の病気治癒を願って皇居で記帳している日本国民を、「土人」と呼んだ[5]。