巨人の星
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アニメ化作品については「巨人の星 (アニメ)」をご覧ください。

巨人の星
ジャンル野球漫画
漫画
原作・原案など梶原一騎
作画川崎のぼる
出版社講談社
掲載誌週刊少年マガジン
レーベル講談社コミックス(KC版)
講談社漫画文庫(文庫版)
KCデラックス(HGT版)
発表期間1966年 - 1971年
巻数全19巻(KC版)
全11巻(文庫版)
全7巻(HGT版)
漫画:新巨人の星
原作・原案など梶原一騎
作画川崎のぼる
出版社読売新聞社(現:読売新聞東京本社
講談社
掲載誌週刊読売
レーベル講談社コミックス(KC版)
講談社漫画文庫(文庫版)
発表期間1976年 - 1979年
巻数全7巻(読売新聞社版)
全11巻(KC版)
全6巻(文庫版)
テンプレート - ノート
プロジェクト漫画
ポータル漫画

『巨人の星』(きょじんのほし)は、原作:梶原一騎・作画:川崎のぼるによる日本漫画作品。本項では、続編である『新巨人の星』についても併せて解説する。
概要

主人公の星飛雄馬は、かつて巨人軍の三塁手だった父・星一徹により幼年時から野球のための英才教育を施される。プロ野球の読売ジャイアンツに入団後、ライバルの花形満左門豊作やオズマらを相手に大リーグボールを武器に戦う。いわゆるスポ根野球漫画の走りともいえる作品で、連載から半世紀以上経つ現在もスポ根作品の代表格として高い知名度を誇る。

『巨人の星』(通称「左腕編」)は1966年から1971年まで『週刊少年マガジン』に連載され、『週刊少年マガジン』連載直後にKC(講談社コミックス)全19巻で刊行された。KCスペシャル版と1995年の文庫版では全11集である。その続編『新巨人の星』は1976年から1979年まで『週刊読売』に連載された。『巨人の星』・『新?』ともによみうりテレビ系でTVアニメ化され、アニメ映画も7作品が製作されている。2021年8月時点で累計発行部数は630万部を記録している[1]

左腕編と『新?』の間の時期を描いた『巨人の星・外伝?それからの飛雄馬』も読みきりで『週刊少年マガジン』に掲載されており、飛雄馬失踪(5年間)の開始から3年後を扱っている。これは『新?』の文庫版の巻末に収録されており、1978年掲載で『週刊読売』の『新?』掲載期間と重なるが、河崎実の著書『巨人の星の謎』では「昭和48年」=1973年であるとしている。

講談社漫画文庫『新巨人の星』で「新魔球の章」と『巨人の星・外伝』を収録した第6巻1996年版では、巻末に『新巨人の星』の初出が『週刊読売』1976年10月2日号 - 1979年4月15日号に掲載、『それからの飛雄馬』は『週刊少年マガジン』1978年2月12日号に掲載とある。
タイトル

ジェイムズ・P・ホーガン作のSF作品『"Giants Star"』の邦題は、本作との重複を避ける意味から『巨人たちの星』になっている。『巨人の星』が「巨人軍に属する星という名の選手」の意味であれば、英語の人名 Starr は最後の r が2つになるので、『空想英語読本』のマッシュー・ファーゴ(Matthew Fargo)は『Starr Of The Giants』という題名を提案している。しかし、『巨人の星』の英語のタイトルは『Star Of The Giants』が慣用らしく、「巨人軍を象徴する“夜空の星”」または「巨人軍の“スター選手”」という意味になっている。タイトルの『巨人の星』はこれらの全ての意味を兼ねている。
作品解説
誕生に至る経緯

『巨人の星』が連載を始めるまで、野球漫画の決定版と言えば『ちかいの魔球』とされていた。その『ちかいの魔球』を超える野球漫画を、ということで、マガジン編集部が梶原一騎を口説き落とした[2]

コンセプトは「宮本武蔵の少年版」であり、一人の少年の成長を描いた人間ドラマの中で、野球という舞台が用意されたものだった[2]。当時東京ムービー企画部の今泉俊昭も「花形満が佐々木小次郎、飛雄馬が武蔵、という剣豪ドラマとして製作された」と語っている[2]
作画

作画担当は梶原の原作執筆後に選定が行われ、「フレッシュな漫画家を」ということで、川崎のぼるが選ばれた[2]。だが、当時野球の知識が無く、また既に何本も連載を抱えており新しい連載を引き受ける余裕もなかった川崎は当初その依頼を拒否する[2]。川崎は何度も懇願されたため逃げ回っていたが、ある日、夜遅くに帰宅したところ家の前で編集部員に待ち伏せされ、そのまま翌朝まで懇願された[2]。結局は根負けし引き受けることとなった[2] のだが、このように説得に時間がかかったためプロ野球の開幕に合わせて4月に予定されていた連載開始は6月に遅れることとなる[3]。川崎の作画により劇中のビジュアルが印象的に描かれ、大リーグボール2号の「高くあげた右足が土ぼこりを舞い立てる」コマを原作担当の梶原は絶賛したという。消える魔球の原理は、川崎のぼるが描く飛雄馬の投球フォームを見た梶原が思いついたものともいわれる。

『新巨人の星』では、絵も一層緻密になり、人気漫画家となった川崎も他の連載をかかえながら作画を再開した[4]。その分、投球や打撃のシーンはよく見ると複数のコマでコピーの流用が多く、コピーされた部分はしばしば、文庫版などで印刷状態が良くない。また、飛雄馬が手に巻いた包帯が途中のコマでなくなっている場面もある。アナウンサーや記者、観客、子供の顔はギャグマンガ風にデフォルメされており、川崎の別作品『てんとう虫の歌』や『いなかっぺ大将』の絵と共通点が見られる。
作中のセリフ回し

『巨人の星』末期および『新巨人の星』以降はセリフが非常に長く、かつまわりくどくなっている。また、「なきにしもあらず」「思わんでもなかった」など、二重否定の肯定が頻出する。また、「女にはわからない男の世界」「男の世界のことに明子は口を出すな」などのホモソーシャル的な言い回しが多い。また原作では難しい熟語の言い回しが多く、登場人物のセリフも「この○○にも」などのように一人称として苗字を名乗る場合が多い。
剛球か豪速球か

作中、「剛球」では「剛」の文字が使われるが、「豪速球」では「豪」という字が用いられる。アニメ主題歌の歌詞に「剛球燃えろ」とあるように、飛雄馬は当初、「剛球投手」というイメージだったが、辞書では「剛球」は速くて「重い」球という意味で受け取られることが多いらしい。後になって飛雄馬の「球質」が判明するあたりで彼の投げる「軽くて速い球」は「豪速球」または単に「速球」と表現されるようになった。「球質の重い軽い」に関しては今の科学では疑問視されている(詳細は大リーグボールの項参照)。『新巨人の星』で、右腕投手として復帰した飛雄馬の投げる速球は「剛速球」として表現されている。

なお、安恒理(やすつね おさむ)著『「巨人の星」から「ルパン三世」まで"アフターストーリー"全掲載!!』(辰巳出版)に掲載された『巨人の星』の解説では「剛速球」となっている。
川崎のぼる作画以外による巨人の星

1971年、『テレビマガジン』で、磯田和一の作画による漫画を掲載(12月創刊号から翌1972年3月号まで)。1978年には、同誌で井上コオの作画による『新巨人の星』のコミカライズを掲載。翌1979年には秋月研二作画による『新巨人の星II』のコミカライズが『月刊少年マガジン』に掲載された。詳細は巨人の星 (アニメ)参照。

さらに2006年8月9日より『週刊少年マガジン』誌上で、梶原一騎・川崎のぼる原作、村上よしゆき作画で本作のリメイク『新約「巨人の星」花形』が連載を開始、2011年新年号まで連載された。
左腕編の旧単行本と文庫の関係

KC1巻/文庫1巻 (無題、事実上の第一部の第一章→
1958年、長嶋入団会見の日)、大リーグボール養成ギプス、火だるまボール、命をかけるねうち、ノックアウト打法との対決、星親子のねがい

KC2巻/文庫1巻 星親子のねがい(1959年王貞治巨人入団、飛雄馬は小学校?1966年青雲高校入学)、柔道部のボス伴のしごき、負けじ魂、あせとなみだと根性と(伴が野球部への移籍を宣言)

KC2巻/文庫2巻 あせとなみだと根性と(伴が移籍?花形と対抗試合前半)

KC3巻/文庫2巻 あせとなみだと根性と(対抗試合後半)、とうちゃんの心はどこへ、星一徹のへそ作戦、地区予選開幕(前)

KC4巻/文庫2巻 地区予選開幕(後)、試合開始、おそるべきライバル(左門の生い立ち)

KC4巻/文庫3巻 おそるべきライバル(左門と勝負)、なみだの投球、血ぞめの親指、優勝旗をかけて

KC5巻/文庫3巻 優勝旗をかけて、伴の苦しみ、ざんねん会、スカウト合戦、巨人軍入団テスト、打撃テスト、アウトかセーフか?(テスト合格まで)

KC6巻/文庫4巻 おれはやるぞ(巨人二軍時代)、ON砲と勝負、血染めの手で栄光をつかめ、名物千本ノック、飛雄馬のまよい、初登板

KC7巻/文庫4巻 新しい門出(舞台は1968年新春)、雪山の特訓、かたい決意(台湾到着直後まで)

KC7巻/文庫5巻 台湾キャンプ(金田に感謝する星)

KC8巻/文庫5巻 台湾キャンプ(奇跡の快投)、左門の予告ホームラン、大リーグボール、なぞの特訓

KC9巻/文庫5巻 連敗脱出(vs王、vs左門)、大リーグボールの正体(対大洋戦後半、花形に情報)

KC9巻/文庫6巻 大リーグボールの正体(vs花形、1回目)、オールスター戦開幕、血まみれのバット(鉄球・鉄バット特訓)

KC10巻/文庫6巻 血まみれのバット、男の一念、飛雄馬対花形の死闘)花形が1号を予告ホームラン)、左門のなやみ、前進あるのみ、行動でしめせ(釣堀での特訓)

KC11巻/文庫6巻 行動でしめせ(日本シリーズ)

KC11巻/文庫7巻 ようこそカージナルス、因縁の決闘、契約更改、野球人形(1969年新春)

KC12巻/文庫7巻 新しい時代、父一徹の就任先、最後のわがまま、青春とは?、美奈の死、巨人の星余話

KC13巻/文庫8巻 第二部、男の友情、再起、大リーグボールの復活、見えないスイング、あやうし!大リーグボール(オズマが1号を本塁打)

KC14巻/文庫8巻 あやうし!大リーグボール(飛雄馬降板→試合後)、不死鳥、偉大なライバル、野球にすべてを、奇跡の新魔球(消える魔球完成まで)

KC14巻/文庫9巻 奇跡の新魔球(オズマ三振)

KC15巻/文庫9巻 奇跡の新魔球(試合終了まで)、左門の挑戦、大リーグボール二号の秘密、みんなが青春を!、第三部・青春群像編・大投手金田引退、伴のトレード、親友、危うし!消える魔球(1970年新春)

KC16巻/文庫9巻 飛雄馬のしごき、真冬の特訓、きのうの英雄きょうの敗者(後楽園で座談会→勝負)

KC16巻/文庫10巻 きのうの英雄きょうの敗者(明子が伴に忠告)、涙の決別、顔でわらって心でなけ!、ふっきれ伴!、刺客志願

KC17巻/文庫10巻 刺客志願(「黒い霧」に怒る花形)、運命の対決、慟哭のブロックサイン、強いやつが勝つ!(花形が消える魔球を打倒)、負け犬、ふりかかる火の粉(京子登場)、星さんが好き!

KC18巻/文庫10巻 星さんが好き!、青春のぬけがら(前)

KC18巻/文庫11巻 青春のぬけがら(後)、組長の野心、すべてかゼロか!、屈辱の“夢の球宴”、京子のオネガイ!、車中のできごと、出た!大リーグボール三号(文庫版巻頭の目次で「?三号」、作中の副題で「?3号」)

KC19巻/文庫11巻 でた!大リーグボール三号(花形と明子の会食)、ある座談会、左門、覆面魔球に屈す!、血染めの大リーグボール三号、大根切り攻略、父子の執念、飛雄馬のひみつ、目前の完全試合、9回二死、最後の対決!、エピローグ(1971年年明けまで)

副題の個所は必ずしも連載当時の区切りと一致しない。冒頭、飛雄馬が長嶋に魔送球を投げつけ、星一家が最初に描かれた章(アニメ第1話「めざせ栄光の星」に相当)ではサブタイトルがなく、そのあとに「大リーグボール養成ギプス」という最初の副題が出ている。また、有名な火だるまボールのノックは「火だるまボール」の章では描かれず、そこでは飛雄馬と王貞治の対決が描かれ、火だるまボールは「命をかけるねうち」で描かれる。

また、KCからデラックス版、そして文庫になった段階で、1つの副題の話が巻をまたいでいる個所があり、後半が収録された文庫では目次に前巻の最後と同じ副題があるだけで、後半の本編では副題は書かれていない。

『新巨人の星』の場合、「泥濘の章」、「鳴動の章」、「噴煙の章」、「青嵐の章」、「噴火の章」、「不死鳥の章」、「新魔球の章」の7章からなっており、『週刊読売』連載当時、大型の別冊単行本全7冊が出て、講談社コミックス(KC)では全11巻、講談社のデラックス版と漫画文庫で全6巻となっている。漫画文庫の第1巻には星の草野球代打稼業から伴の長嶋邸訪問までの「泥濘の章」と「鳴動の章」の前半、長嶋が星の右投げを見る場面を収録。
時代背景
スポーツ界など、社会全体

長嶋茂雄の巨人軍入団(1958年)に始まり、V9、中断をはさんで第一次長嶋政権の4年目(1978年)の中途、『新巨人の星』として完結した。この時代は、日本が敗戦の混乱期から立ち直り、高度経済成長を経て経済大国を自認し始める頃に当たっている。

東京オリンピック1964年)を前にした交通整備で、一徹のような日雇い労務者も仕事が急増し、収入が増えたことが描写されている。当時高級品だったTV購入も、いわゆるお坊ちゃま学校だった青雲高校への飛雄馬の入学も、こうした五輪景気の建設ラッシュ期における一徹の昼夜兼行の超人的な働きがなければ不可能だった。なお、インフラ整備や再開発はその後も続き、飛雄馬が生まれ育った長屋も取り壊されている。

登場人物(花形、伴、川上監督夫妻、オズマ)たちが海外に出かける、あるいは戻る場面では、舞台は羽田空港。乗客は建物から徒歩で飛行機に向かい、タラップを使って乗降していた。機材もDC-8と思しきナローボディ機材だった。国内線での移動も多々あるが、ボーイング727は登場しない。

主要登場人物の中では、星一徹、川上哲治、水原茂らが太平洋戦争への従軍を経験している。アニメ版オリジナルストーリーで水原のシベリア抑留時代の強制労働体験、沢村栄治吉原正喜など戦没野球選手の逸話も描かれた。一方、主人公飛雄馬は、台湾の日本統治時代を知らないか、知識としては知っていても現地で日本語が通じることには驚いてしまう世代になる。劇中で中国(中華民国)側が飛雄馬たちを歓迎する文字「歓(歡)迎」「棒球団(團)」などは、戦後日本の当用(常用)漢字だった。一部の巨人選手は中華民国側の歓迎の印だった爆竹に驚いて、川上監督から説明を受けていた。台湾キャンプ当時(1968年)は中国本土との国交回復1972年)の前。

速水はメキシコオリンピック1968年)の陸上競技で代表候補だった。なお、速水のキャラクター造形の参考にされたと推測される飯島秀雄もやはりメキシコオリンピックの代表選手である。

星飛雄馬が左腕投手として巨人に入団した1967年当時、現在の東京ヤクルトスワローズがサンケイアトムズ、横浜DeNAベイスターズが大洋ホエールズ、オリックス・バファローズが阪急ブレーブスと近鉄バファローズ北海道日本ハムファイターズが東映フライヤーズ、福岡ソフトバンクホークスが南海ホークス、千葉ロッテマリーンズは東京オリオンズ(物語後半でロッテオリオンズ)、埼玉西武ライオンズが西鉄ライオンズだった。また、東北楽天ゴールデンイーグルスは2005年新規参入のため当時存在していなかった。

まず、阪急は日本シリーズのパ・リーグ代表として何度も登場する。
1968年、西本監督は飛雄馬の大リーグボール1号を打倒するため、スペンサーに花形そっくりの特訓をさせたが、1号の「最後の完成の姿」に敗れ、翌1969年も阪急打線は消える魔球の前に沈黙。阪急の長池は1968年の日本シリーズでは大リーグボール1号を続けて2球受け、最初はファウル、次に投飛で打ち取られた。次に1970年にはオールスターで対戦したが、飛雄馬が精神的に不調だったために1号は2球続けてバットに当たらず花形がカバー。続いて飛雄馬の投げた「スピードの死んだ直球」を長池は激怒の一打。これは左門の美技に阻まれた。『新?』では1975年の日本シリーズ、上田監督の阪急が広島に勝って日本一になるところを、伴が長嶋邸に向かう車のラジオで聴いていた。


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