左隊郡(さすいぐん)は、古代中国の地方区分である郡の一つで、西暦紀元9年から23年の新王朝の時代にあった。漢の潁川郡にあたり、現在の河南省中部を占める。 新を建てた王莽は、地名と官名をしきりと改めた。左隊郡は古く戦国時代に韓があったところで、秦が潁川郡を建て、漢が継承した[1]。
概要
始建国3年(11年)に定められた地域分担では大司徒の下に入った[2]
後漢が建てられると、潁川郡の称にもどされた。
左隊大夫 - 地皇4年(23年)3月見[4]
脚注^ 班固『漢書』28巻、地理志第8上。ちくま学芸文庫『漢書』3の296頁。
^ 班固『漢書』99巻中、王莽伝第69中。ちくま学芸文庫『漢書』8の399頁。
^ 『後漢書』巻29、申屠剛鮑永?ツ列伝第19。
^ 『漢書』巻99下、王莽伝第69。ちくま学芸文庫版『漢書』8の456頁。
参考文献
中央研究院・歴史語言研究所「漢籍電子文献資料庫」。
班固著、『漢書』
小竹武夫訳『漢書』1から8、筑摩書房、ちくま学芸文庫、1998年。
范曄著『後漢書』