左道と右道
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バフォメットは左道のいくつかの流派にとりいれられた。エリファス・レヴィ『高等魔術の教理と儀式』(1854年)より。

左道(さどう、: Left-hand path; LHP)と右道(うどう、: Right-hand path; RHP)とは西洋の秘教(英語版)・魔術を二つに分類するのに用いられる概念。西洋の秘教・魔術には様々なグループが含まれるが、ある種の用語法では左道が邪悪な黒魔術と、右道が恩恵的な白魔術と同等視される[1]:152。 一方、こうした用語法を批判して、左右の区別は働き方の違いに言及したに過ぎず、必ずしも魔術の善悪を含意しないと考えるオカルティストもいる[1]:176。

より近年ではこの左道および右道という概念はその起源であるインドタントラにおける用語法に基づいて用いられるようになった。つまり、右道は特定の倫理規定に従い社会的慣習を受け入れた魔術集団を指し、対して左道は反対の態度、つまりタブーを破って所定の道徳を廃しようとする集団を指すのである。本質的にはこの二つの道は同じ目的を持つので個々の魔術師はどちらを選ぶこともできるのだと主張する現代オカルティストもいる。目次

1 概要

1.1 右道

1.2 左道

1.3 批判


2 歴史

2.1 ヴァーマーチャーラ

2.2 タントラとブラヴァツキー夫人

2.3 西洋の秘教への導入

2.4 20世紀後半から21世紀まで


3 タントラにおける使用

3.1 左道とヒンドゥー教のタントラとの関係

3.2 左道と仏教のタントラとの関係


4 関連項目

5 脚注

6 文献情報

7 外部リンク

概要
右道

一般に、右道はある一連の特性を固持する魔術的・宗教的集団を指すとされている:

右道では
精神肉体霊魂の三者を互いに異なるが関係しあってもいる存在とみなす[2]

右道では特定の倫理規定が固持されるとともにカルマや三倍返しの法(英語版)のような応報原理が信奉される[2]

ダイアン・フォーチュン[3]やウィリアム・ゴードン・グレイ(英語版)[4]といったオカルティストは非魔術的なアブラハムの宗教をも右道に含まれるとみなしている。
左道

歴史家デイヴ・エヴァンズが21世紀初頭において左道の信奉者を自称する人々を観察して彼らの実践を以下のようにまとめている:

左道ではしばしば社会的慣習や
現状が否認される。この否認は精神的自由の探求のためになされると主張する人もいる。左道の信奉者はこの否認の一環として性魔術サタンの図像の崇拝といった伝統的にタブーとみなされていたであろう魔術技法を取り入れる[1]:197。モッグ・モーガンが述べるように、「タブーを破ることにより魔術がより大きな力を得て、回復と解放がもたらされる。タブー破棄の例として、ヴェジタリアンのコミュニティにおいて肉食することは性的に抑制された非ゲイ社会でアナルセックスをするのと同等の解放をもたらす[5]。」

左道ではしばしば宗教的・倫理的ドグマに疑問が投げかけられ、代わりにある種の個人的アナーキズムが奉じられる[1]:198。

左道ではしばしば性行為が称揚され、魔術儀式に取り入れられる[1]:205。

批判

左道と右道という概念は多数のオカルティストたちによって批判されてきた。クルトゥス・サバティの指導者アンドリュー・D・チャンブリー(英語版)によれば、左道・右道という概念は単なる「理論的構築物」であって「決定的に客観性が欠けて」いるが、にもかかわらず左道・右道という両形式が魔術師に用いられうるという。チャンブリーは右手と左手という二つの手を持つ人間が両方の手を使うことができるという比喩を用いている[6]。同じような印象をウイッカのハイ・プリーストのジョン・ベラム-ペインは「私にとって魔術は魔術だ[7]」と述べている。
歴史
ヴァーマーチャーラ

「ヴァーマーチャーラ」(V?m?c?ra)はサンスクリットで「左手の技能」を意味し、「左手の道」あるいは「左の道」(V?mam?rga)の同義語である[8][9]。この語は標準的なヴェーダの規定に反する異端(N?stika、ナースティカ)だけでなく、広く普及した文化的規範に対する過激派のような信仰的・精神的実践(sadhana)をも指す。しばしば一般にこうした実践はタントラ的方向を持つとみなされる。ヴァーマーチャーラの対義語はダクシナーチャーラ(Dak?i??c?ra)であり、正統派(?stika、アースティカ)だけでなく、ヴェーダの規定に従っていて文化的規範に受け入れられるような精神的実践を指して用いられる語である。しかしながら、左手の実践形態も右手の実践形態もヒンドゥー教ジャイナ教シーク教仏教といったインド諸宗教の正統派にも異端派にも見出される。結局は感性、文化、傾向、イニシエーション、法統(parampar?)の問題であると言える。
タントラとブラヴァツキー夫人

西洋において左道と右道という術語が用いられるようになったのは19世紀のオカルティストで神智学を創始したブラヴァツキー夫人による。彼女は南アジアの諸地域を旅行した後に、インドチベットで多数の神秘家・魔術実践者に出会ったと主張した。精神的実践の一環として儀礼で性行為を行い、墓場に集まって飲酒や食事を行ってヒンドゥー教の社会的タブーを破ることを強調するインドのタントラ的実践であるヴァーママールガの訳語としてブラヴァツキー夫人は「左道」という概念を展開した。「ヴァーマ-マールガ」という語はサンスクリットで文字通りには「左手の道」を意味し、ブラヴァツキー夫人はここから左道という語を造語した[1]:178。

ブラヴァツキー夫人がこの語を用いはじめたのはヨーロッパにもどってからである。ヨーロッパではもとより「左」が種々の否定的な物事と結び付けて考えられていたために、左道を邪悪なものを指す語として普及させるのは容易だった; 歴史家のデイヴ・エヴァンズが指摘しているように、同性愛者は「左手の」と呼ばれ、プロテスタント諸国ではカトリックの信徒は「左足の人々」(: left-footers)と呼ばれていたのである[1]:177。こうした「左」と社会の否定的側面との結びつきは聖書に遡る:そしてすべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、
羊を右に、山羊を左に置く。 ? マタイ 25: 32-33、新共同訳
西洋の秘教への導入

1875年ニューヨークでブラヴァツキー夫人は他数名の人々と共に神智学協会を設立した。そして彼女は数冊の著書の執筆に取り掛かり、『ヴェールを剥がれたイシス』(1877年)で左道および右道という術語を紹介して、自身は右道の信奉者であること、左道の信奉者は黒魔術の実践者であって社会の脅威であることを断固として主張した。この彼女が新しく紹介した二分法は歴史家デイヴ・エヴァンズによれば西洋の従前の秘教では「かつては知られていなかった[1]:181?182」ものであったが、すぐにオカルトのコミュニティで理解された。例えば、秘教的魔術集団(内光友愛会(英語版))の創始者ダイアン・フォーチュンも右道の立場をとり、「黒魔術師」つまり左道の信奉者が同性愛者であること、インド人の使用人がカーリーに捧げられた邪悪な魔術儀式をヨーロッパ人の主人に対して用い得ることを主張した[1]:183?184。


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