巡視船
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、海上保安庁の警備救難業務用船のうち大型のものについて説明しています。

海上保安庁の警備救難業務用船のうち小型のものについては「巡視艇」をご覧ください。

同種の各種艦船に関する総論については「哨戒艦艇」をご覧ください。

ヘリコプター1機搭載型巡視船「れいめい

巡視船(じゅんしせん)は、海上保安庁が所有する船舶のうち警備・救難などの任務に従事するものである[1]。基地周辺海域で同様の任務に従事する小型のものは「巡視艇」として区別される[1][2]。公式の英語呼称はPatrol vesselだが[3]、最初期にはPatrol boatとも称されており[4][5]、現在でも報道などで用いられることがある[6]
沿革「海上保安庁船艇一覧#巡視船」も参照
創設期(占領下: 1940・50年代)

1948年5月1日連合国軍占領下の日本で洋上警備・救難および交通の維持を担当する文民組織として海上保安庁が設立された[7]。発足当時の保有船艇のうち、巡視船は木造の駆潜特務艇(ASC型)28隻と敷設特務艇1隻の29隻に過ぎなかった[8]。船艇勢力の拡充は急務であり、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)当局その他に精力的に働きかけた結果、昭和23年(1948年)度中に老朽船ながら巡視船7隻の取得に成功したものの、うち1隻は衰耗が著しく使用に耐えられないとして同年度中に解役せざるをえなかった[8]

昭和24年(1949年)度に、GHQ/SCAP当局の管理下にあった旧海軍艦艇のうちASC型7隻および飛行機救難船(ARB型)11隻の使用許可が出たほか旧海軍の曳船4隻を取得し、計23隻を巡視船に編入した[8]。大蔵省から旧海軍工作船「みうら」の所管替えを受けるとともに、終戦時に建造中だった旧海軍の特務艇を取得して建造を再開して「かばしま」として竣工させ、これらも巡視船に編入した[8]

昭和24年度予算では、初の船舶新営費として6億1,569万4,000円が成立して船艇の新造も実現した[8][9]。1949年4月に造船所17社の技術者を中心として海上保安庁船舶設計審議会が発足し、国内造船所の全面協力のもと船艇に関する検討が開始された[9]。この当時はGHQ/SCAPが強く介入しており、武装した海上保安機構に対する極東委員会の反発を考慮して巡視船が軍事用ではないと明確にするため、排水量1,500トン以下、最大速力15ノット以下に制限されていた[10][注 1]。日本は独自設計で船艇を建造する方針であったがアメリカ沿岸警備隊(USCG)の艦船をベースとするように変更され、日本は極めて不足していたPL・PMの整備に重点を置く方針であったが、PSの建造数を増やすよう指導された[9]

昭和24年度計画からカクタス級設標船(英語版)をタイプシップとした 700トン型PL(だいおう型)と、セティス級カッター をタイプシップとした450トン型PM(あわじ型)の建造が開始された[9]。昭和25年度以降は700トン型の建造が中止されて450トン型は改正型のれぶん型へ移行し、アクティブ級哨戒艇(英語版)をタイプシップとした270トン型PS(くま型)の建造が開始された[9]朝鮮戦争が勃発して1950年7月8日に「マッカーサー書簡」が発出されると、10月23日に「海上保安庁法等の一部を改正する政令」[注 2]が制定されて海保の全般的な体制強化を図る[9]。巡視船も2次にわたり増強されて450トン型13隻と270トン型14隻が追加された[8]
更新充実期(主権回復後:1950 - 70年代)

1952年サンフランシスコ平和条約が発効して日本国は主権を回復した[4]。国防を担当する組織と海上保安組織の役割分担を巡る調整が難航して昭和27年(1952年)度予算の船艇建造は見送られたが、1952年8月に警備隊が発足して海上保安庁の地位が整理され、昭和28年(1953年)度計画から船艇建造が再開された[4]。昭和28年度計画の巡視船は、待望のPLである1,200トン型に加えて450トン型および270トン型の代替として600トン型および350トン型が計画されたが、海保の予想以上に査定が厳しく1,200トン型と600トン型はすべて削除され、350トン型のみが相当にスペックダウンされたとかち型として建造された[11]。更に、中央気象台気象観測船として運用されていた旧海軍海防艦5隻が海保へ所管換となり、おじか型PLとして就役した[8]

昭和29年(1954年)度計画で、改350トン型として動揺性能の向上を図った「てしお」が建造されたものの量産には至らず、昭和30年(1955年)度計画からやはぎ型、昭和35年(1960年)度計画から改2-350トン型としてまつうら型が建造された[4]。上記の旧海軍海防艦はいずれも老朽化が著しく早期に代替されることになり、昭和3637年度で900トン型(のじま型)、昭和38年(1963年)度で1,100トン型(こじま)、昭和39・40年度で改900トン型(えりも型)がそれぞれ建造された[4]昭和4142年度にマリアナ海域漁船集団遭難事件を契機とした2,000トン型(いず型)2隻が建造された[12][4]

占領下に整備された大量の初期建造船も早期のフェードアウトが要望され、昭和4748年度計画で700トン型の代替となる改2-900トン型(だいおう型)2隻が建造された[4][9]。350トン型は昭和43年(1968年)度計画で建造を開始した改3型(くなしり型)で従来の450トン型に匹敵するサイズまで大型化したことから、既存の350トン型とあわせて一括してPMに区分変更された[4]。これらは270トン型および450トン型を順次に代替し、昭和48年度計画から発展型の改4型(びほろ型)の建造が開始されて270トン型はほぼ淘汰された[4]

巡視艇では性能不足だが水深が浅く270トン型は配備できない港湾へ向けて、昭和36年度から130トン型(ひだか型)の建造が開始され、特殊な波浪条件の港湾向けの特130トン型も並行して建造された[4][12]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:106 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef