『巡礼の年』(じゅんれいのとし、巡礼の年報とも訳される、フランス語:Annees de pelerinage)は、フランツ・リストのピアノ独奏曲集。『第1年:スイス』『第2年:イタリア』『ヴェネツィアとナポリ(第2年補遺)』『第3年』の4集からなる。
20代から60代までに断続的に作曲したものを集めたもので、リストが訪れた地の印象や経験、目にしたものを書きとめた形をとっている。若年のヴィルトゥオーソ的・ロマン主義的・叙情的な作品から、晩年の宗教的、あるいは印象主義を予言するような作品まで様々な傾向の作品が収められており、作風の変遷もよくわかる。「泉のほとりで」、「ダンテを読んで」、「エステ荘の噴水」などが特に有名である。 『第1年:スイス』 (Premiere annee: Suisse) S.160は、1835年から1836年にかけて、リストがマリー・ダグー伯爵夫人と共に訪れたスイスの印象を音楽で表現したものである。これらの曲はまずは3部19曲からなる『旅人のアルバム』としてまとめられ、1842年に出版されたが、このうち第1部の5曲と第2部の2曲を改訂し、さらに2曲を追加して1855年に出版されたのが『巡礼の年 第1年スイス』である。第2、5、7、9曲の標題はバイロンの詩集『チャイルド・ハロルドの巡礼』から、第6、8曲はセナンクールの小説『オーベルマン』から、第4曲はシラーの詩『追放者』からとられている。『旅人のアルバム』に存在しない追加曲は第5、7曲である[1]。.mw-parser-output .listen .side-box-text{line-height:1.1em}.mw-parser-output .listen-plain{border:none;background:transparent}.mw-parser-output .listen-embedded{width:100%;margin:0;border-width:1px 0 0 0;background:transparent}.mw-parser-output .listen-header{padding:2px}.mw-parser-output .listen-embedded .listen-header{padding:2px 0}.mw-parser-output .listen-file-header{padding:4px 0}.mw-parser-output .listen .description{padding-top:2px}.mw-parser-output .listen .mw-tmh-player{max-width:100%}@media(max-width:719px){.mw-parser-output .listen{clear:both}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .listen:not(.listen-noimage){width:320px}.mw-parser-output .listen-left{overflow:visible;float:left}.mw-parser-output .listen-center{float:none;margin-left:auto;margin-right:auto}}泉のほとりで (Au bord d'une source)演奏: ランドルフ・ホカンソン(英語版
第1年:スイス
ウィリアム・テルの聖堂 Chapelle de Guillaume Tellスイス独立の英雄ウィリアム・テルゆかりの聖堂の荘厳さを音楽化している。
ヴァレンシュタットの湖で Au lac de Wallenstadtバイロンの『チャイルド・ハロルドの巡礼』からの一節が引用されている。
パストラール Pastoraleスイス山岳地帯の牛飼いの歌に基づく。
泉のほとりで Au bord d'une source『第1年』の中で最も有名な曲で、水のきらめきがあざやかに表現され、華麗な技巧と詩的な楽想が両立している。シラーの詩の一節「囁くような冷たさの中で、若々しい自然の戯れが始まる」が記されている[1]。
嵐 Orage曲集の中でもとりわけ技巧を要する曲。『チャイルド・ハロルドの巡礼』からの一節が引用されている。
オーベルマンの谷 Vallee d'Obermann演奏時間が約15分にわたる大曲で、「泉のほとりで」に並ぶ傑作とされる。19世紀前半にヨーロッパに自殺熱をもたらしたセナンクールの小説『オーベルマン』に着想を得て、主人公の苦悩や感情の移ろいを描いている[2]。
牧歌 Eglogueスイスの羊飼いの歌。『チャイルド・ハロルドの巡礼』の一節が引用されている。『旅人のアルバム』に含まれていないが、1836年には作曲されていたと思われる[1]。
郷愁 Le mal du pays『オーベルマン』からの長大な引用が序文として掲げられている。「自分の唯一の死に場所こそアルプスである」とパリから友人に書き綴ったオーベルマンが抱いた望郷の念を音楽で表現している[2]。
ジュネーヴの鐘 Les cloches de Geneve初稿はジュネーヴでマリーとの間に生まれた長女ブランディーヌに捧げられた。娘の無事を祈る安らぎに満ちた音楽。
第2年:イタリアラファエロの「聖母の婚礼」
『第2年:イタリア』 (Deuxieme annee: Italie) S.161は、1838年より作曲が開始され、1858年に出版された(ただし第3曲を除いて1839年にはほぼ完成していたようである)。マリーを伴ってイタリアを旅し、絵画や文学など数々の芸術に触れた印象を音楽としてしたためたものである[1] 『ヴェネツィアとナポリ(第2年補遺)』 (Venezia e Napoli) S.162は、1861年に出版された。初稿は1840年に作曲された4曲からなる曲集で、そのうち2曲を改訂し、1曲追加して、1859年に現在の稿が完成した(新しく追加されたのは第2曲)。リストは全3曲を続けて演奏するよう指示している[1]。
婚礼 Sposalizio:ホ長調ラファエロの「聖母の婚礼」による。終結部のフレーズはドビュッシーの『アラベスク第1番』を予感させる[2]。
物思いに沈む人 Il penseroso:嬰ハ短調ミケランジェロの彫刻による。『第2年』には珍しいほどの大変暗い雰囲気の曲で、後のラヴェルの「絞首台」を思わせるようなオクターヴによる重々しい同音による連打音が印象的である。1866年に管弦楽曲『3つの葬送頌歌』S.112の第2曲「夜」へと改作された。
サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ Canzonetta del Salvator Rosa :イ長調伴奏風の部分と、歌の部分をピアノで演奏する形をとる。前曲とは全く対照的な、明るく活発で、親しみやすい雰囲気。ここで掲げられているサルヴァトール・ローザの詩は、現在ではボノンチーニ作とされている[1]。
ペトラルカのソネット第47番 Sonetto 47 del Petrarca:変ニ長調劇的表現力が問われる曲で、甘い旋律が続くが、その旋律の中に情熱が秘められている。
ペトラルカのソネット第104番 Sonetto 104 del Petrarca:ホ長調劇的要素のある曲で、3曲ある「ペトラルカのソネット」の中で最もスケールが大きい。劇的表現力が要求される。甘い中にも情熱を秘めた旋律が続き、哀愁を伴う。
ペトラルカのソネット第123番 Sonetto 123 del Petrarca:変イ長調他2曲に比べると静かな印象のある曲だが、やはり静かな中にも情熱がこめられている。第4曲から第6曲までの「ペトラルカのソネット」は、歌曲集『ペトラルカの3つのソネット』第2稿をリスト自身がピアノ編曲したもの。ソネットの番号は、ペトラルカの詩集『カンツォニエーレ(イタリア語版)』に収録されているものとは実際には少しずれている。
ダンテを読んで:ソナタ風幻想曲 Apres une Lecture du Dante: Fantasia quasi Sonata:ニ短調-ニ長調他6曲に比べ遥かに規模が大きく、演奏時間約17分に及ぶ大作。『ダンテ・ソナタ』とも呼ばれる。リストのピアノ作品の中でも演奏が大変難しいことで知られ、難曲のひとつでもある。1839年には既に演奏された記録があり、2部からなる「神曲への序説」という題を付けていた時期もある。標題自体はユーゴーの詩集『内なる声』の中の一篇からとられており、ダンテの『神曲』より「地獄篇」のすさまじい情景を幻想的に描き出している[1]。「音楽の悪魔」の異名を持つ三全音が冒頭で用いられているが、これはまさに地獄を音で表現したものといえる[3]。
ヴェネツィアとナポリ(第2年補遺)
ゴンドラの歌 Gondolieraジョヴァンニ・バッティスタ・ペルキーニ
カンツォーネ Canzoneロッシーニのオペラ『オテロ』の中のカンツォーネ「これ以上の苦しみはない」 (Nessun maggior dolore) の主題による。
タランテラ Tarantellaタランテラはイタリア・ナポリの舞曲。