巡洋艦
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巡洋艦(じゅんようかん、英語: cruiser)は、遠洋航行能力・高速性などを活かした攻撃力を持たせた軍艦の艦種。ただし定義は国や年代によって多岐にわたる。
来歴

帆船時代の軍艦は、備砲数による等級と、想定任務による艦種によって類別されてきた。一般的に、二層以上の砲列甲板に64門以上という多数の艦砲を備えた艦によって単縦陣の戦列を構成して砲撃戦を戦うことから、これらが戦列艦と称された。一方、これより小さく、砲列甲板が単層で備砲が20?50門程度の艦はフリゲートコルベットと称され、艦隊決戦の補助や通商破壊、沿岸警備などにあたっていた。また更に小さい等外艦としてスループ砲艦カッタースクーナーなどがあった[1][2]

「クルーザー」のもとになった「クルーズ」という単語は、ラテン語で十字架を表す「クルクス」(crux)に由来し、「海上をジグザグ航行する」ことをオランダ人が「クルイゼン」(cruisen)と称していたのに倣って、17世紀、イギリス人が「敵船を探し求める軍艦のジグザグ航海」を「クルーズ」と称するようになったとされる。すなわち、当時は艦種というよりは作戦行動を表す単語であり、例えばイギリス1708年に制定された巡洋艦法(Cruisers Act)では、このような任務で得た捕獲賞金について規定されている[3]。戦列から離れての単独任務という性格から、フリゲートやコルベットが投入されることが多かった。また1860年代南北戦争の際には、南軍は13隻の武装船を通商破壊に投入したが、これらは「クルーザー」と称されていた[4]

この時期には舶用蒸気機関が普及し、機帆船の時代となっていた。南北戦争での経験を踏まえ、アメリカ海軍は蒸気フリゲートの速力向上を図り、1864年には「ワンパノアグ(英語版)」を進水させた。またイギリス海軍は、1868年、設計思想を更に進めて、船体を鉄製とするとともに、舷側に石炭庫を配置して空間装甲としての機能をもたせた「インコンスタント(英語版)」を建造した。当時、まだ艦種呼称として採用されてはいなかったものの、後顧的には、イギリス巡洋艦の嚆矢として評価されている[5]

このように帆から推進機に変わっていく流れの中、装に基づく従来の類別法とは異なる名称が望まれるようになり、イギリス海軍では1875年進水の「シャノン」を端緒として「巡洋艦」という艦種呼称が使われるようになり、1878年には、既存のフリゲートとコルベットは巡洋艦に類別変更された[注 1][6]。フランス海軍でも1882年進水の「ヴォーバン」は巡航鋼鉄艦(Cuirasse de Croisiere)と称され、「フリゲート」の名称は使われなくなっていった[4]
装甲帯巡洋艦装甲帯巡洋艦の先駆者、「クニャージ・ポジャールスキー

元来、艦砲では沿岸要塞に対抗できないのがセオリーとされていた。しかしクリミア戦争フランス軍が実戦投入した装甲浮き砲台が要塞攻撃を成功させたことで、状況は一変した。この戦訓を踏まえて、フランス海軍1859年に進水させた「ラ・グロワール」と、これに対抗してイギリス海軍が1860年に進水させた「ウォーリア」により、世界の海軍は装甲艦の時代に突入した。これらの装甲艦により攻撃された場合、要塞の優位性は盤石とはいえなくなっていた。鋼鉄艦・蒸気船時代の到来とともに、造修・補給を担う基地を世界各地に維持することが重要になっていたことから、各国海軍の遣外艦隊はこれに対抗する必要が生じた[7]

このことから、イギリス海軍初の巡洋艦である「シャノン」などは水線部に帯状の装甲を施しており、装甲帯巡洋艦(belted cruiser)と称される[8]。またこれに先行して、1870年ロシア帝国海軍が竣工させた「クニャージ・ポジャールスキー」は、世界で初めて水線防御を施した軍艦と称される[9]。しかし、特に英艦は装甲艦の延長線上の設計思想で建造されていたために、巡洋艦として必須の航洋性能が低い傾向があったほか、防御重量の増大を避けるために装甲帯の幅を極端に圧縮した結果として、排水量が計画値よりも増えると、装甲部分が容易に水没して意味をなさなくなるという問題があった[8]

このため、イギリス海軍の装甲帯巡洋艦は1884年度計画のオーランド級が最後となり、以後は防護巡洋艦に移行した[8]。一方、当時第2・3の海軍国であったフランスやロシアは水線部装甲をもつ巡洋艦を重視し、建造を継続した[5]。特にロシアが1875年に竣工させた「ゲネラール=アドミラール」は、装甲帯巡洋艦というよりは、むしろ世界初の装甲巡洋艦として評価されている[10]
非防護巡洋艦

装甲艦の影響を受けた装甲帯巡洋艦と対照的に、高速軽快なフリゲート・通報艦を母体にした非防護巡洋艦も建造されていた。これらの艦は、通商破壊や商船護衛、前路哨戒や植民地警備といった様々な任務に投入されていた[8]

また1884年度でイギリス海軍が建造したスカウト級のように、水雷攻撃を意図した水雷巡洋艦の任務を帯びた艦もあった。しかし巡洋艦としての設計であったため船殻重量過大であり、また軽量大出力の適切な機関が得られなかったことから所期の速力を達成できず、その後の進化に繋がることはなかった[8]
防護巡洋艦防護巡洋艦の防御計画を示す略式断面図。赤線は装甲部分(防護甲板および砲の防楯)。灰色部分は同じく防御区画として用いられた石炭庫[11]。防護甲板は斜めの部分において最も厚くなっている。

もともとイギリス海軍では、「インコンスタント(英語版)」に見られるように石炭庫を空間装甲のように配置することで防御に利用するという設計思想があった。1876年度計画のコーマス級では、これに加えて、機関部と弾薬庫の上方に相当する部分の甲板を装甲で覆う防護甲板の手法が導入された[12]。そして1880年度計画のリアンダー級では、水平に近い弾道で艦内に突入した砲弾に対する避弾経始を配慮して、防護甲板に反りを持たせて亀甲型とした。装甲帯のような重く高価な垂直防御と比して、このように水線部より若干下方に防護甲板を設ける水平防御の手法であれば、比較的軽い重量で、かつ重心の上昇も抑制しつつ艦の防御力を向上させられると期待された[5]


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