湘南乃風のシングル「純恋歌」とは異なります。
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「巡恋歌」
長渕剛 の シングル
初出アルバム『風は南から』
B面「帰り道」
リリース1978年10月5日
規格7インチレコード
録音1978年12月
エピキュラス・スタジオ
ジャンルポピュラー
フォークソング
時間3分28秒
レーベル東芝EMI/エキスプレス
作詞・作曲長渕剛
チャート最高順位
173位(オリコン)
長渕剛 シングル 年表
「雨の嵐山」
(1977年)「巡恋歌」
(1978年)「俺らの家まで」
(1979年)
『風は南から』 収録曲
A面
1.「俺らの家まで」
2.「僕の猫」
3.「いつものより道もどり道」
4.「訣別」
5.「カントリー・ワルツ」
B面
6.「待ち合わせの交差点」
7.「不快指数100%ノ部屋」
8.「今宵最後のブルース」
9.「君は雨の日に」
10.「巡恋歌」
11.「長いのぼり坂」
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「巡恋歌」(じゅんれんか)は、日本のシンガーソングライターである長渕剛のファーストシングルである(通算2枚目)。
1978年10月5日に東芝EMIのエキスプレスレーベルからリリースされた。作詞・作曲は長渕、編曲は鈴木茂が担当している。
前作「雨の嵐山」(1977年)にてデビューしたものの活動を停止し故郷の九州に帰郷した長渕であったが、この曲によって再デビューを果たした。オリコンチャートでは最高位173位となったが、後に再レコーディングしてリリースされた「巡恋歌'92」では最高位1位を獲得している。ライブにおいてもほぼ欠かさず演奏される定番曲となっている。
ファースト・アルバムである『風は南から』(1979年)に収録された他、ベスト・アルバム『FROM T.N.』(1983年)、『いつかの少年』(1994年)、『Tsuyoshi Nagabuchi All Time Best 2014 傷つき打ちのめされても、長渕剛。』(2014年)など様々な作品に収録されている。 ポピュラーミュージックコンテスト(ポプコン)の九州大会で優勝し、ビクター・レコードよりリリースされたシングル、「雨の嵐山」(1977年)によってデビューした長渕だったが、レコード店を回りキャンペーンを行ったり、デパートの屋上でアイドルの前座として歌わされる事や「ながぶち・ごう」と名前が変えられた事など、本人の理想とはかけ離れた活動を余儀なくされ、限界を感じた長渕は故郷である九州に帰ることになってしまう[1]。その後、再起をかけてこの曲は作られた[2]。 再びプロのミュージシャンを目指していた長渕は、同じ過ちを繰り返さぬように、当時のフォークシンガーにとっては憧れの的であったフォーライフ・レコードに「巡恋歌」の含まれたデモテープを送るが、採用されなかった[3]。その後も数々のレコード会社、果ては嘗て「雨の嵐山」において挫折を喫したビクターにも送るが、全く採用されず、最後に専門家による判断を仰ぐため、ヤマハ音楽振興会へと送った[4]。その後ヤマハから歌手デビューする女性アイドルに「巡恋歌」を歌わせたいと連絡が入り、「自分はまだデビューもしていないし、自分で歌いたい」と伝えると、ヤマハ側から再度ポプコンへの出場を提案される[5]。その後長渕は後にシーナ&ザ・ロケッツに所属する事となるベーシストの奈良敏博を含めた即席バンド「ソルティドッグ」を結成しポプコンに出場、九州大会で優勝した他に静岡県のつま恋で行われた本選会でも入賞し、ヤマハ側から絶賛され、東芝EMIより再デビューするに至った[6]。 音楽情報サイト『CDジャーナル』では、「か細い音色のアコースティック・ギターに乗せて、感情たっぷりにむせぶような歌唱は痛々しいほど切ない[7]」、「一人暮らしの寂しい女性の視点から綴った、叶わない恋の物語。黄昏に染まる夕空に似合いそうな、切なさやわびしさが募るフォーキーなナンバーだ[8]」と表記されている。 本人は「自分の振られてばかりの女々しい恋愛遍歴を照れ隠しに女性言葉で綴った」と解説している。
背景
音楽性