州警察_(アメリカ合衆国)
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この項目では、アメリカ合衆国の州警察について説明しています。その他の国の州警察については「州警察」をご覧ください。
アナポリス所在のメリーランド州警察「J」隊舎(2015年)。

アメリカ合衆国において、州警察(しゅうけいさつ、英語:state police)は各に特有の警察組織であり、州の全土にわたって法執行活動や刑事捜査を行う権限を有する。州警察官 (state trooper) と呼ばれる州警察の警察官たちは、一般に、州道州間高速道路における交通法規の執行、州会議事堂の安全の確保、州知事の警護、州内の独自の警察学校を運営するには規模が小さすぎる警察の新人警察官の養成の代行、技術的・科学的サービスの提供といった、保安官の管轄に属さない機能を担う(バーモント州は注意すべき例外である)。州全土にわたって完全な警察権が与えられている州では、重大な、または複雑な事件について州内の警察を支援し、管轄地域を越えて編成されたタスクフォースの活動を調整する。

全体的な傾向として、これらの組織を州レベルの公安省(英語版)の傘下に移す動きがある。加えて、それらは州運輸省の下のハイウェイ・パトロールや天然資源省の下の海上警邏隊のように州の別の省に所属する場合もある。「州警察」の用語を用いているのは32州である。49州が州警察組織またはそれに相当する組織を保有しており、州全土に管轄を有するハワイ州公安省保安官部を擁するハワイ州が唯一の例外である。
歴史

1823年スティーブン・オースティンによって最初に創設されたテキサス・レンジャーは、アメリカ合衆国における州の法執行機関の最初期の形態である。当初のレンジャー隊は、入植者をインディアンの攻撃から保護する任務を帯びた10人の男たちであった。この時代のレンジャーたちは、今日では法執行官とみなされているが、バッジを着用することは滅多になく、ボランティア以上のものではなかった。当時のメキシココアウイラ・イ・テハス州ではメキシコ軍が正式に法執行を担っていた。レンジャー隊はのちにアメリカ=メキシコ国境における準軍事組織として活動し、テキサス革命米墨戦争南北戦争を含む複数の武力紛争に従軍した。彼らは「ワイルド・ウエスト」時代の終焉まで、基礎的法執行と辺境防備の役割を果たした。1900年代初頭には刑事捜査機関に改編された。テキサス・レンジャーの歴史とレガシーは、大衆文化での数多の描写を生み出した。テキサス・レンジャーの「いつでもホシを挙げる」("always [getting] their man") という市井でのイメージも、レンジャー隊を数ある法執行機関の中でも尊敬される、一つのポストに採用されるのは応募者100人に1人未満であるほど競争率の高い組織とした。

1865年、マサチューセッツ州は州内の売春行為を取り締まるため、州コンスタブル (state constable) を設置し、1879年には彼らは地区警察 (district police) という州の刑事警察となった[1]。以降、ニューメキシコ州アリゾナ州がテキサス州の制度を、コネチカット州がマサチューセッツ州の制度を模倣した。

最初の近代的州警察である[1]ペンシルベニア州警察(英語版)は、ペンシルベニアでの1902年炭鉱ストライキ (Coal strike of 1902) の後に登場した。1905年5月2日に法案が成立した際は、鉱山主たちが牛耳る議会を穏やかに通過したため論争は起こらなかったが、この新しい警察のスト破りの役割は労働組合から猛反対を招き、彼らはツァーリの下の反動的なロシアコサックになぞらえられた[2]。自身もかつてニューヨーク市警察委員会委員長であったセオドア・ルーズベルト大統領は、ペンシルベニア州警察は私有財産への労働組合の攻撃に対抗するために用いられた「悪名高い」民間企業立の警察 (Company police) である、炭鉄警察 (Coal and Iron Police) と交代するためのものであると主張した:

労働者階級が既得権益との死闘に囚われているとき、州は自らの不偏不党の司法を証明するため、自らの権力を既得権益の手に売り渡すことにより介入した!……鉱夫たちがストライキに打って出ることを決議するといつも、……彼らは決まって州の権力が雇用主の側の徒党として購入され、賃金を支払われ、戦っているのを目にした。この恐ろしいことを体面の装いの下で行おうとする試みすらなされなかった。[3]

ルーズベルトの主張にもかかわらず、炭鉄警察は1930年代まで職員を増やしつつ活動し続けた。王立カナダ騎馬警察の警察官(左)と共に米加国境のそれぞれの側に立つメイン州警察警察官(1941年)。

1917年4月11日のニューヨーク州警察(英語版)の創設は論議と社会的な論争の中でなされ、設置法案はたった1票差で可決された[4]。ニューヨーク州警察を創設する提案の提唱者たちは州警察を労働争議において中立の立場を取る半警半兵 (policemen-soldiers) の組織であるとし、彼らは「ジャンダルムリでも、カラビニエリでもない」と主張して、労働者側の反対は「アメリカ人的でない」とほのめかした[5]。その代わりに、彼らは労働組合員が引き合いに出したこれらの悪評のある組織よりも肯定的な評判を得ていたオーストラリアの騎馬警察のようになる予定であった[5]


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