州の権限
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州の権限(しゅうのけんげん、州権、: States' rights)は、アメリカ合衆国の政治および憲法における概念である。アメリカ合衆国の各州は連邦政府に関連してある権限と政治力をもっているとするものである。州の権限という言葉が使われるようになったのは、権利章典の一部でもあるアメリカ合衆国憲法修正第10条であった。州の権限という概念は、連邦政府が優越権を主張する州法を守るため、あるいは連邦政府の権限範囲を越えて州の行動に立ち入って来ていると考えられる時に対抗手段として使われている。
原則

連邦政府の権力が州の権力に優先されるという原則は、アメリカ合衆国憲法の最高法規(優越)条項(第6条第2節)に基づいている。アメリカ合衆国最高裁判所第4代長官のジョン・マーシャルによって1800年代初期に説明された。マカロック対メリーランド州事件という裁判でマーシャルは、連邦政府で採択された法律が憲法で許された権力を行使するとき、州政府に採用された相容れない法に優先すると主張した。この判決以後、アメリカ合衆国議会が憲法の下に有する権力の範囲について、また憲法が明らかに州に対して制限していない場合でも州は連邦政府の決定を排除する権力を持っているかについて、法律の主要な争点となった。
1865年までの論争アメリカ合衆国全体の動きについてはアメリカ合衆国の歴史 (1789-1849)を参照。

アメリカ独立からアメリカ合衆国憲法の制定までの期間、各州は連合規約に従った弱い政府の下で連衡の形を取っていた。そこでの連邦政府は個別の州を牛耳るような権威は有ったとしてもほとんど無いに等しい状態だった。憲法の制定で連邦政府の力が強くなり、国全体を治めるために必要な権力の行使が認められたが、共存する2種類の政府の「レベル」を示す境界は曖昧であった。州法が連邦法と一部重なり合う場合、憲法第6条の最高法規条項によって連邦政府優位に問題を解決した。最高法規条項では連邦法が「この国の最高法規」と宣言し、「あらゆる州の判断は連邦法によって規制される」と規定した。しかし、最高法規条項は連邦政府が憲法で承認される権力を働かせるときにのみ適用される。

連邦党1798年外国人・治安諸法を成立させた時、トーマス・ジェファーソンおよびジェームズ・マディソンは密かに「ケンタッキー州およびバージニア州決議」を書き、州の権限を支持する有名な文章を認めた。この理論によれば、連邦組織は自発的な州の集まりであり、中央政府が行き過ぎた場合には、各州がその法を無効化する権限があるとしていた。ジェファーソンはケンタッキー州で次のように語った。

決議案。アメリカ合衆国を構成する幾つかの州は無制限に連邦政府に服従するという原則で連邦に加盟しているのではない。しかし、アメリカ合衆国憲法およびその修正条項という様式と表題の下の盟約により、特別の目的のために連邦政府を構成し、ある定義された権力を連邦政府に委任しているのであり、各州自体にはその州を自ら治めるための残りの権利を留保している。連邦政府が委任されていない権力を担おうとすることは承認されていないことであり、無効であり、強制力がない。各州が州として同意したこの盟約については一体の当事者であるが、州が共同してあたるもの自体は別物である。各当事者は違背しているものかという判断、また矯正の様式や手段を独自に判断する平等な権利を有する。

「ケンタッキー州およびバージニア州決議」とそれを補強したマディソンによる1800年報告書はジェファーソンの民主共和党の根幹をなす文書となった。州の権限を声高く主張したジョン・ランドルフのような支持者は1820年代から1830年代に「古共和党員」と呼ばれた。

米英戦争の時に州の権限に関する論争が起こった。ニューイングランド諸州の代表がハートフォード会議に集まり、マディソン大統領と戦争に反対して合衆国からの脱退を議論した。つまり連邦政府の判断で行っている外国との戦争に対し、州の判断で反戦の意志を表示するものであった(米英戦争に対する反戦運動を参照)。
無効化詳細は「無効化の危機」を参照

1820年代から南北戦争にかけて、合衆国の大きな継続する問題は貿易と関税についてだった。南部諸州は多くが農業とその生産物の輸出に依存しており、加工品についてはヨーロッパからの輸入または北部からの移送に頼っていた。北部諸州は対照的に国内の製造業経済が成長し海外貿易は競争相手と見なすようになっていた。貿易の障害となるのは特に保護関税であり、輸出に頼る南部経済には有害と見なされていた。

1828年、アメリカ合衆国議会は北部諸州の利益に繋がる保護関税法案を通したが、これは南部の不利益となった。南部の者達は、「嫌悪の関税」に反応して1828年に書かれた「サウスカロライナ説明と抗議」のような文書で関税に対する反対の意を声高に表した。「説明と抗議」はサウスカロライナ州選出上院議員ジョン・カルフーンの作品であり、カルフーンは以前は保護関税と連邦予算の内部改善を主唱する人物だった。

サウスカロライナの無効化条例は1828年と1832年の関税法を無効化し州内では効力無しと宣言した。無効化の危機が始まった。条例は州議会を1832年11月24日に通過したが、12月10日アンドリュー・ジャクソン大統領はサウスカロライナに対して、海軍の船隊を送ることを宣言し、関税を強制するための陸軍も送ると言って脅した。
南北戦争「南北戦争の原因」も参照

次の数十年間で別の州の権限に関する論争が持ち上がった。奴隷制の問題が国を二分し、トーマス・ジェファーソンによって信奉された原則は、反奴隷制の立場を採る北部と、南部の分離主義者の双方から引用され、論争は終には南北戦争に繋がった。奴隷制の擁護者は州の権限の一つは奴隷という財産を保護することであると論じ、1857年ドレッド・スコット対サンフォード事件の判決で最高裁に支持されたという立場を採った。対照的に奴隷制に反対する者は、奴隷のいない州の権限が最高裁の判決と1850年の逃亡奴隷法によって侵害されていると論じた。

アメリカ連合国大統領ジェファーソン・デイヴィスは全ての人は生まれながらにして平等であるという宣言に反対し、州の平等権という立場で次のように論じた。

「決議案。これら州の連合はその構成員の平等の権利と特権に依存している。合衆国の共通の財産である領土内における個人や財産に関連して差別するような試みに反対することは州の主権を代表する上院議員の特別の義務である。一つの州の市民に利点を与え、他の州の市民にはその利点が平等に確保されていないとすればそれは差別である。[1]

南部の諸州が制定したアメリカ連合国憲法の序文は、「我々、アメリカ連合国の者は、それぞれの州がその主権と独立した性格のもとに行動する」で始まっていた。
1865年以降

アメリカ合衆国対クルクシャンク事件(1876年)。コルファックス虐殺の裁判。最高裁により憲法修正第14条(公民権の定義)は州の行動に適用され、個人の暴力には適用されないとした。

アメリカ合衆国対ハリス事件(1883年)。憲法修正第14条は州の行動に適用され、個人の犯罪には適用されないので、平等保護条項は1883年の監獄内リンチ事件には適用されないとした。

公民権訴訟(1883年)。公共の施設における人種差別を禁じた法律である1875年の公民権法を無効化することにより差別を許容した。最高裁は平等保護条項は州の行動に適用され、個人によってなされることには適用されないとし、1875年の公民権法は個人の行動に適用されるので、憲法修正第14条の第5節の下での合衆国議会の権力を越えているとした。

プレッシー対ファーガソン事件1896年)。「分離するが平等」に扱う原理は平等保護条項に合致しているとし、法律上の差別を適法とすることにより、ジム・クロウ法の始まりとなった。憲法修正第14条と憲法修正第15条(黒人の参政権)は公民権運動の時までほとんど有効ではなかった。現代の最高裁を含む裁判では公民権訴訟を憲法修正第14条の適用範囲を制限するものとして解釈している。

南北戦争自体と憲法修正条項は、アメリカが分割できない連合となるか連邦政府の下に州の集合となるかを熟考させた。20世紀の初めまでに、州と連邦政府の間に強い連携関係が育ち始め、連邦政府はより強い権力を持つようになった。国税である所得税が導入されたのがこの時期であり、最初は南北戦争の時、最終的には1913年の憲法修正第16条で恒久化された。これ以前では、人民が税を払わねばならない政体の最高形態は州であったが、現在はもう一つ上の権威が追加されて連邦政府となった。所得税の執行の直ぐ後に世界恐慌ニューディール政策第二次世界大戦と続き、連邦政府にはより高い権威と責任が付いてくるようになった。ウィッカード対フィルバーン事件は、人が自分の土地でどれだけの食料を生産できるかまでも決める権限を連邦政府に与えた。これは州間の商業交易に影響し商業条項(憲法第1条第8節第3項)の法に支配されるという論法であった。

第二次世界大戦後、ハリー・トルーマン大統領は公民権法を支持し、軍隊での人種差別を禁じた。これに反応した南部の民主党が党を割り、ストロム・サーモンドを指導者とする州権民主党(ディキシークラット)が結党された。サーモンドは1948年大統領選挙にも出馬したが、トルーマンに敗れた。
公民権運動

1950年代に始まった公民権運動の中で、州の権限が南部の人種政策と強く結びつけられることになった。


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