川
大字・町丁
川の大じめ
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}川川の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度57分51.7秒 東経139度34分38.61秒 / 北緯35.964361度 東経139.5773917度 / 35.964361; 139.5773917
国 日本
都道府県 埼玉県
市町村 上尾市
地区大谷地区
面積
? 合計0.2153[1]km2
人口(2019年(平成31年)1月1日現在)[2]
? 合計1,687人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号362-0048[3]
市外局番048(浦和MA)[4][5]
ナンバープレート大宮
座標の場所は川の大じめを示す
川(かわ)は、埼玉県上尾市の町名および大字。現行行政地名は川一丁目・二丁目、および大字川。住居表示未実施地区[6]。市の統計などでは大谷地区で分類されている。郵便番号は362-0048[3]。目次 埼玉県東部で上尾市南東部[7]の大宮台地上[8]に位置する。鴨川流域は低地で台地との間は傾斜が極めて緩く、その境界は不明瞭である。 東側を富士見、南側を向山、西側から北側にかけて今泉と接する。大字川の境界は西部の今泉と複雑に錯綜し、現在でも大小の飛地がある。地区の東端を鴨川が流れ、北から富士見橋や鴨川橋が架かる。また、地内を今泉雨水第2幹線(今泉都市下水路)が流れ、鴨川に合流している[9]。 地区は大字も含めた全域が市街化区域[10]で主に第一種低層住居専用地域(主要な通り沿いは第一種中高層住居専用地域や第二種住居地域)に指定され、全体的に区画整理された住宅地が広がっているが、大字川には一部生産緑地地区として耕作地も残る。かつては水田も見られた[7]。 もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡大谷領に属する川村[8]、古くは、周辺の今泉村、向山村、壱丁目村などと共に1村の大谷村であったと云われている[8][11]。向山村に飛地があった[8]。村高は正保年間の『武蔵国田園簿』では154石(田61石余、畑89石余、山高3石余)、『元禄郷帳』および『天保郷帳』によると123石余であった[8]。助郷は中山道上尾宿に出役していた[8]。化政期の戸数は20軒で、村の規模は東西4町余、南北2町余であった[8][12]。地名は諸説あり鴨川に由来する説や、川端など、川の字を含む地名から川の字だけが残ったことよるものと云われている[13]。1875年(明治8年)の農業産物高は武蔵国郡村誌によると米15石、大麦60石、小麦15石、大豆18石、小豆8石、栗10石、蕎麦3石、甘藷720貫であった[14]。
1 地理
2 歴史
2.1 存在していた小字
3 世帯数と人口
4 小・中学校の学区
5 交通
5.1 道路
5.2 バス
6 祭事
7 施設
8 脚注
8.1 注釈
8.2 出典
9 参考文献
10 関連項目
11 外部リンク
地理
歴史
はじめは幕府領、1624年(寛永元年)より知行は旗本柴田氏となる[8]。なお、検地は1661年(寛文元年)に実施[12]。
1698年(元禄11年)より上知され再び幕府領となる[8]。
幕末の時点では幕府領(代官支配地)[15]。
1868年(慶応4年)6月19日 - 武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
1869年(明治2年)
1月13日 - 武蔵知県事・宮原忠英の管轄区域に大宮県を設置。県庁は東京府馬喰町に置かれる。
9月29日 - 県庁が浦和に置かれ浦和県に改称。
1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
1872年(明治5年)3月 - 大区小区制施行により第19区に属す[15][16]。