川野太郎
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かわの たろう
川野 太郎
生年月日 (1960-04-11)
1960年4月11日(64歳)
出生地 日本山口県吉敷郡小郡町
(現:山口市小郡)
血液型B型
職業俳優
活動期間1985年-
活動内容テレビドラマ・映画・舞台
配偶者あり(1994年 ‐ )
事務所グリーンメディア
公式サイト ⇒川野 太郎
主な作品
テレビドラマ
澪つくし
武蔵坊弁慶
キッズ・ウォー』映画
千利休 本覺坊遺文』バラエティー番組など
料理バンザイ!
備考
早稲田大学教育学部体育学専修卒
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川野 太郎(かわの たろう、1960年4月11日[1] - )は、日本俳優山口県吉敷郡小郡町(現:山口市小郡)出身。身長178cm。血液型はB型。早稲田大学教育学部体育学専修卒業。所属事務所はグリーンメディア
来歴

山口県鴻城高等学校を卒業し、浪人(天王寺予備校)を経て早稲田大学へ入学。

1985年NHK連続テレビ小説澪つくし』で俳優デビュー。ヒロイン・沢口靖子の相手役・吉武惣吉役に抜擢され、一躍ブレイク[1]。本作は最高視聴率55.3%を記録し、沢口を相手に、役の上で初のキスシーンも演じた。

以後端正なルックスで人気を集め、1986年のドラマ『武蔵坊弁慶』(NHK)、1990年のドラマ『代表取締役刑事』(テレビ朝日系)、1999年からは『キッズ・ウォー』(TBS系)にて父親役を好演するなど活躍[1]。『温泉へ行こう!』『大好き!五つ子』と並ぶ人気シリーズとなった。

また『スーパーモーニング』(テレビ朝日系)では司会を2年半務め[2]、『料理バンザイ!』(テレビ朝日系)での「たまに行くならこんな店」のレポーターも12年間務めるなど俳優業以外でも活動[2](食事をする際の姿勢が大変良く、多くの評論家から「彼からマナーを学ぶべき」と絶賛された)。

2020年3月31日、オスカープロモーションを退社。同年10月1日、イトーカンパニーへ所属。

2024年3月31日、イトーカンパニーを退社。同年4月よりグリーンメディア所属。
人物
学生時代

小学校ではやんちゃ坊主で毎日のように怒られていたが、子供の頃から運動神経が良くサッカーや野球をしていた[1]。入学した中学にサッカー部がなかったことから野球部に入部。高校でも野球部に所属し、3年生の春に県大会決勝で津田恒実も登板した南陽工と対戦して準優勝、その後の中国地区大会で優勝している[1]

大学でも野球部に所属し、ポジションは二塁手だった。ただしほとんど活躍できず、リーグ戦では、2回代打として出場したものの凡退したほか代走1回に終わった[注 1][1]。大学時代の野球部の同期には和泉実木暮洋がいた。
役者の道へ

大学2年生の頃に仲代達矢主宰の無名塾に興味を持ったが、親から大学卒業を説得されて一旦取りやめた[1]。その後4年生の頃に留年が決まり、「自分は将来どうなりたいのか」と考えた末、改めて俳優を目指し始める[1]。野球部を引退した4年生の秋に演劇研究所に通い始め、5年生の時に残りの単位を取りながら芝居と歌のレッスンを受けた[1]

5年生の9月頃、朝ドラ『澪つくし』に「オーディションというものを一度経験してみよう」と気軽に応募した所、思いがけず合格[1]。ちなみに中学生以来ずっと丸刈りで、大学4年で野球部を引退してようやく髪の毛を伸ばしかけた所、オーディション合格後に同役が丸刈りの設定と知り、しばらくは丸刈りの生活が続くこととなった[1]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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