川越線
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この項目では、国鉄およびJR東日本の川越線について説明しています。かつて路線名が「川越線」だった旧・川越鉄道の路線については「西武新宿線」、「西武国分寺線」をご覧ください。

川越線
E233系7000番台による川越行き列車
(2022年6月 西大宮駅
基本情報
日本
所在地埼玉県
種類普通鉄道在来線幹線
起点大宮駅
終点高麗川駅
駅数11駅
電報略号カハセ[1]
開業1940年7月22日 (83年前) (1940-07-22)
所有者東日本旅客鉄道(JR東日本)
運営者東日本旅客鉄道(JR東日本)
車両基地川越車両センター
路線諸元
路線距離30.6 km
軌間1,067 mm
線路数複線(大宮駅 - 日進駅間)
単線(日進駅 - 高麗川駅間)
電化方式直流1,500 V
架空電車線方式
閉塞方式自動閉塞式(大宮駅 - 川越駅間)
特殊自動閉塞式(川越駅 - 高麗川駅間。軌道回路検知式)
保安装置ATS-P
最高速度95 km/h

路線図


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川越線(かわごえせん)は、埼玉県さいたま市大宮区大宮駅から同県川越市川越駅を経由して同県日高市高麗川駅に至る、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線幹線)である。
概要

埼玉県の県庁所在地であるさいたま市から西へ向かい、川越市を経由して日高市の高麗川駅までを結ぶ路線であるが、早朝時間帯の南古谷駅始発の下り列車を除き、川越駅を境に東西に運転系統が分断されている。川越駅以東(大宮駅 - 川越駅)の区間では、埼京線を介した東京臨海高速鉄道りんかい線新木場駅までの直通運転と、相鉄線直通列車として埼京線および相鉄新横浜線を介した相模鉄道本線海老名駅までの直通運転が行われ、車内に掲示してある路線図には、「埼京線・川越線」との表示がなされている。川越駅以西(川越駅 - 高麗川駅)の区間では、八高線八王子駅までの直通運転が行われており、車内に掲示してある路線図には、「川越線・八高線」との表示がなされている。

全線が旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「東京近郊区間」およびIC乗車カードSuica」の首都圏エリアに含まれる。

旅客案内で使用されるラインカラーは、埼京線直通運転区間である大宮駅 - 川越駅間は緑(■)、川越駅 - 高麗川駅間ではグレー(■)である。ただし、大宮駅はグレー(■)を使用している。
歴史

1922年改正鉄道敷設法の制定・施行当初、別表の「建設予定線」に、川越線に相当する路線は含まれていなかった。その後、1934年に、東北本線八高線を短絡して中央本線のバイパスとするため、この別表に「埼玉県大宮ヨリ川越ヲ経テ飯能附近ニ至ル鉄道」が追加された(別表第50号ノ4)[2]東海道本線と東北本線を東京を経由せずに結ぶという「軍事的な危機管理政策」の観点から必要とされたこともあり、この別表への追加と同時に「建設線」となり、同年中に直ちに着工された。川越線開通を報じる当時の朝日新聞埼玉版の見出しには、「帝都防備の使命も重く」との記載がある。川越線は、このような異例のスピードで建設が進められ、1940年に全線が一度に開業した[3]

一方、大宮 - 川越間には、1906年開通の路面電車として西武大宮線が走っていたが、川越線の開通に伴い利用が激減し、1940年12月に運休し、翌1941年に廃線となった[4]

川越線は、昭和40年代(1965-1974年)以降、沿線人口の急増に伴い、利用客も増加した。一方、単線・非電化のまま抜本的な輸送力の増強対策がとられず、「1時間に1本か2本、ラッシュ時でも3本」という運行本数であったために、1980年頃には「国電なみの混雑」が指摘されるに至った。1980年5月17日には、沿線市町による「国鉄川越線複線電化促進協議会」が発足している[5]

その後、1985年埼京線開業に伴い、埼京線と川越線の大宮駅 - 川越駅間との直通運転が開始された。同時に、川越線は大宮駅 - 日進駅間が複線化されるとともに、川越駅以西も含む全線が電化された。埼京線と川越線との直通運転は、埼京線の車両基地を、川越線の南古谷駅付近に新設したことに伴う(川越電車区、現在の川越車両センター)。埼京線は、当初は大宮駅以北を高崎線と併走させる計画であったが、埼京線区間に車両基地を設置する用地が確保できず、川越線沿線に車両基地を求めることとなった。これに伴い、川越線は都市近郊の通勤路線としての性格を強めることとなり、利用客もさらに増加した。

2002年には埼京線を介して東京臨海高速鉄道りんかい線との直通運転を開始し、相鉄線直通列車として2019年には埼京線・相鉄新横浜線を介して相模鉄道本線と相互直通運転を開始した。

一方川越線は、都市近郊の通勤路線としての性格が強いにもかかわらず、大宮駅 - 日進駅の1駅間を除くほぼ全線が依然として単線であり、運行本数も日中毎時3往復と少ない状態にある(ただし、平日朝の指扇駅 - 大宮駅間の上りのみは最大8本)。電化以後の大きな路線改良は、2009年開業の西大宮駅に行き違い設備が造られたのみである。

2015年には、利用客が微増傾向にあるにもかかわらず、川越駅 - 高麗川駅の日中時間帯が毎時3往復から2往復へと、五日市線青梅線とともに減便となり、戦中戦後の混乱期を除いた国鉄時代を含め首都圏郊外路線で初の本数減となり[新聞 1]、さらに2019年のダイヤ改正では相鉄線との直通運転が開始された一方で、大宮駅 - 川越駅間で朝夕に減便した。
年表川越線電化20周年号(2005年10月 八王子駅)80周年記念ヘッドマークを掲出したE233系7000番台 宮ハエ127編成。川越駅にて撮影

1940年昭和15年)7月22日:大宮駅 - 高麗川駅間 (30.6 km) が開業。日進駅・指扇駅・南古谷駅・川越駅・西川越駅・的場駅・笠幡駅・武蔵高萩駅が開業。

1980年(昭和55年)5月17日:大宮・川越・日高・飯能4市町による「国鉄川越線複線電化促進協議会」が発足。

1985年(昭和60年)9月30日:全線電化。大宮駅 - 日進駅間が複線化。大宮駅 - 川越駅間で埼京線と直通運転開始。

1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い東日本旅客鉄道が承継、全線の貨物営業が廃止。

1989年平成元年)12月1日:川越駅 - 高麗川駅間にATS-SNを導入[6]

1996年(平成8年)3月16日:川越駅 - 高麗川駅間で八高線(高麗川駅 - 八王子駅間)と直通運転開始。

2002年(平成14年)12月1日:埼京線経由で東京臨海高速鉄道りんかい線と相互直通運転開始。

2005年(平成17年)

8月6日:大宮駅 - 武蔵高萩駅間に東京圏輸送管理システム (ATOS) が導入。


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