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この項目では、三重県にある町について説明しています。埼玉県にあった町については「川越町 (埼玉県)」をご覧ください。
かわごえちょう
川越町旗川越町章
1965年10月27日制定
国 日本
地方東海地方、近畿地方
都道府県三重県
郡三重郡
市町村コード24344-2
法人番号4000020243442
面積8.72km2
総人口15,546人 [編集]
(推計人口、2024年4月1日)
人口密度1,783人/km2
隣接自治体桑名市、四日市市、三重郡朝日町
町の木クロガネモチ
町の花水仙
町の鳥ツバメ
川越町役場
町長[編集]城田政幸
所在地〒510-8588
三重県三重郡川越町大字豊田一色280番地
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度01分22秒 東経136度40分26秒 / 北緯35.02289度 東経136.67386度 / 35.02289; 136.67386座標: 北緯35度01分22秒 東経136度40分26秒 / 北緯35.02289度 東経136.67386度 / 35.02289; 136.67386
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川越富洲原駅と川越の町朝明川。朝明橋から下流方の川越火力発電所を望む川越町郷土資料館川越郵便局川越町総合センター三重県立川越高等学校
川越町(かわごえちょう)は、三重県三重郡に属している町である。三重県北部の北勢地域に分類される。JERAの川越火力発電所、伊勢湾岸自動車道のみえ川越インターチェンジを擁する。三重県内では隣接する朝日町に次いで面積が小さい自治体である。 川越町の面積の約半分は、江戸時代に桑名藩領だった頃に新田開発によって開発された伊勢湾の干拓地である。町内の最高標高は5メートル。 鈴鹿山脈を上流とする朝明川と員弁川から流れ出た土砂により形成された起伏のない沖積層地帯で、伊勢湾に面している。 現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。
地理
河川:員弁川(北部町界)、朝明川
三重県北部を流れる河川の位置関係。濃い破線は県境、薄い破線は市町村境。河川名は木曽川水系以外は水系本川のみ記載。
隣接する自治体
桑名市
四日市市
三重郡朝日町
川越町役場と朝日町役場との距離は1km程度(徒歩30分程度)である。
歴史
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、朝明郡豊田一色村、南福崎村、亀崎新田、亀尾新田、亀須新田、北福崎村、高松村、豊田村の区域、当新田の区域の一部及び縄生村の区域の一部をもって、川越村が発足する。
1896年(明治29年)4月1日 - 三重郡及び朝明郡の区域をもって、三重郡が発足により、川越村の所属郡が三重郡となる。
1961年(昭和36年)5月1日 - 川越村が町制施行して、川越町となる。
人口
川越町と全国の年齢別人口分布(2005年)川越町の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― 川越町
■緑色 ― 日本全国■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性
川越町(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より
地区
各地区の区長は町議会議員より権限が強い公務員扱いの地域代表者。
川越町立川越南小学校区
川越町南部の地区。
天神(てんじん)地区
川越町南部の地区である。北側は川越町の高松地区と隣接しており、西側は川越町の天神地区と豊田一色地区の本村であった豊田地区と隣接している。東側は四日市市富洲原地区の天ヶ須賀の平田紡績の跡地の富洲園団地などの新興住宅地と隣接しており、南側は四日市市富洲原地区の松原地区茶の水町自治会と松原地区東平町自治会と隣接している。南東側の最寄地に富田一色地区の甚五兵衛町自治会に所属する四日市市立富洲原小学校があり、川越町立川越南小学校より通学が便利で富洲原地区から移住して天神町商店街の住民となった家も多くて、富洲原商店街の一部として天神町と命名された。元は豊田村に属していたので、そこから独立したかたちで、豊田天神と呼称されることもある。より正確には、大字(おおあざ)豊田小字(こあざ)天神である。高松地区(高松村)の一部の小字高松天神も存在する。富洲原地区との関係が強く、四日市市富洲原地区に存在した平田紡績の労働者として移住をしてきた住民及び豊田地区農家の次男以下による分家が住民となった。自営業として商売を営む川越富洲原駅前の商店街の天神町発展会が構成されて、平成期に改称されて川越町発展会となった。天神町商店街は東洋紡績富田工場付近の富洲原地区の東洋町商店街・西元町商店街と共に松原地区の平町にあった富洲原駅と天ヶ須賀地区を結ぶために地区の住民が、朝明川から土工や馬の動力で走るトロッコの線路を敷いて、朝明川や須賀浦海水浴場の浜洲の砂を運搬して湿地や田んぼを埋め立てて造成された土地である。