川西池田駅*
駅舎(2010年9月)
かわにしいけだ
Kawanishi-Ikeda
◄JR-G53 北伊丹 (3.1 km) (3.5 km) 中山寺 JR-G55►
右上は川西能勢口駅
所在地兵庫県川西市栄根二丁目6-26[1].mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度49分29.87秒 東経135度24分35.66秒 / 北緯34.8249639度 東経135.4099056度 / 34.8249639; 135.4099056 (川西池田駅*)
川西池田駅(かわにしいけだえき)は、兵庫県川西市栄根二丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)福知山線の駅である[1]。駅番号はJR-G54。
直営駅[1](宝塚駅の被管理駅)で、アーバンネットワークおよび「JR宝塚線」の愛称区間、ICOCAの利用可能エリアに含まれている(相互利用ICカードはICOCAの項を参照)。 摂津鉄道の終点「池田駅」として開業[3]した当初は、猪名川に架かる呉服橋(くれはばし)の近く(当時の川西村大字小花字大畑)に設置された。当時は猪名川の対岸に位置する池田町(現在の大阪府池田市)の方が栄えていたことから、所在地の「川西」ではなく「池田」の名が駅名に採用された。 その後、摂津鉄道を合併した阪鶴鉄道が宝塚方面への延長に合わせ、現在よりも西寄りの寺畑1丁目交差点(国道176号と兵庫県道186号花屋敷停車場線の交点)付近に移転。一度仮停車場への移転を経て、現在の停車場に移転している[4][5]。 1925年に川西が町制を敷いて以降、所在地に合わせて駅名を改称する機運が高まり、数度に渡り駅名の改称を請願したが受理されなかった。川西町の町制25周年を迎えた1950年前後に運動は盛んになり、国鉄などに陳情が行われたが、池田市もそれに反対する陳情を行ったため、間を取って両者の名を組み合わせた「川西池田」となった[6]。この経緯により、2つの府県の都市名が並ぶ珍しい駅名が誕生した。 非電化当時の構内は、駅の北東部に貨物取り扱い施設と機関支区が設置され、広い敷地を有していた。また、阪鶴鉄道時代には駅前の丘に阪鶴鉄道本社があった[4]。乗客は箕面有馬電気軌道(現在の阪急宝塚本線・箕面線)の開業に伴って漸減し、福知山線の電化・複線化までは同社の川西能勢口駅の一人勝ち状態が続いていた[注釈 1]。 福知山線の電化・複線化の際に、現行の待避可能な構造に改造され、駅前にロータリーを作るため、元貨物ヤードがあった現在の位置に3度目の移転をした。移転後の旧駅の遺構として駅前広場が1990年代初めまで形を残していたが、線路を跨ぐ道路の敷地になり姿を消した。
歴史
年表
1893年(明治26年)12月12日:摂津鉄道の終着駅である池田駅として開業[3]。一般駅[7]。
1897年(明治30年)
2月16日:阪鶴鉄道が摂津鉄道を合併[3]。阪鶴鉄道の駅となる。
12月27日:阪鶴鉄道が宝塚駅まで延伸し途中駅となる[3]。同時に仮設駅に移転[1][4]。
1900年(明治33年)12月:仮設駅が焼失[4]。
1901年(明治34年)4月1日:仮設駅から本来の駅に移転[4]。
1907年(明治40年)8月1日:阪鶴鉄道が国有化、官営鉄道の駅となる[3]。
1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定[3]。阪鶴線所属駅となる[3]。
1912年(明治45年)3月1日:線路名称改定[3]。阪鶴線の福知山駅以南が福知山線に改称し、当駅もその所属となる[3]。
1951年(昭和26年)8月1日:川西池田駅に改称[1][2]。
1978年(昭和53年)10月1日:自動車基地閉鎖。
1979年(昭和54年)7月1日:貨物の取り扱いを廃止[7]、北伊丹駅に移管。旅客駅となる[7]。
1980年(昭和55年)9月3日:北伊丹駅方面に0.2km移転し、橋上駅舎化[1]。