川端友紀
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川端 友紀九州ハニーズ #1
イースト・アストライア時代
2013年5月24日、わかさスタジアム京都にて
基本情報
国籍 日本
出身地大阪府貝塚市
生年月日 (1989-05-12) 1989年5月12日(35歳)
身長
体重170 cm
- kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション遊撃手二塁手投手
プロ入り2009年 内野手1巡目
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


和歌山市立和歌山商業高等学校

塩野義製薬

京都アストドリームス (2010 - 2012)

イースト・アストライア
埼玉アストライア
(2013 - 2018)

エイジェック(2019 - 2021)

九州ハニーズ(2022 -)

コーチ歴


エイジェック

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

川端 友紀(かわばた ゆき、1989年5月12日 - )は、日本女子野球選手(内野手)、指導者、元ソフトボール選手(投手)。大阪府貝塚市出身。マネジメント会社は株式会社RIGHTS.。

実兄は東京ヤクルトスワローズ所属の川端慎吾[1]、日本初の「兄妹プロ野球選手」として活躍した[2]
経歴
プロ入り前

小学3年生で野球を始め、中学時代は「貝塚三クラブ」に入部しソフトボールへ転向[3]和歌山市立和歌山商業高等学校(現・和歌山市立和歌山高等学校)時代もソフトボール部に所属。高校の同級生には益田直也がいる。卒業後は塩野義製薬に入社。ソフトボール選手時代は主に投手として活躍した[3]

2009年日本女子プロ野球機構(GPBL、現JWBL)の第1回合同トライアウトを受験し合格[4]、同年12月のドラフト会議京都アストドリームスから内野手部門1巡目で指名を受けた。背番号は23。
アストドリームス時代

2010年、1年目から遊撃手のレギュラーに定着し全試合に出場。リーグトップの打率(.393)を残し首位打者を獲得した[5]

2011年には、チームの副キャプテンに就任。打率.406で2年連続の首位打者に輝くと同時に、新設されたベストナインに遊撃手部門で選出された[6]

2012年、シーズンではタイトル争いに絡むことはなかったものの、夏には第5回IBAF女子ワールドカップに出場する日本代表に選出された。同年オフ、リーグの体制改編に伴う球団新設にあたり、新球団であるイースト・アストライアへ移籍することとなった[7]。背番号は引き続き23。
アストライア時代

2013年、アストライアの主将に就任。打率.431を始め、多くの打撃部門でキャリアハイを更新した。首位打者、最多打点(34打点)、最高出塁率(.537)のタイトルを獲得する活躍でチームを優勝に導き、2度目のベストナイン(遊撃手部門)に加えリーグMVP(角谷賞)を初受賞した[8]

2014年、リーグ戦ではプロ入り後初めて打率が3割を切るなど調子が上がらなかったものの、第6回IBAF女子ワールドカップに出場する日本代表に2大会連続で選出された。

2015年、リーグ2位の打率.379、出塁率.471を記録[9]2016年第7回WBSC女子ワールドカップに出場する日本代表に選出されたこと以外は特別に目立つ活躍は出来なかった。

2017年二塁手へコンバート[10]。リーグ2位の打率.397、リーグトップの出塁率.509を記録し最高出塁率のタイトルを獲得。その他、二塁手部門では初のベストナインに選出され、前年に新設されたゴールデングラブ賞を二塁手部門で初受賞するなど、3年ぶりのタイトル獲得を果たす活躍で、チームのリーグ年間優勝とジャパンカップ初優勝に貢献した[11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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